一宮と隠れキリシタン | 尾張風の会・一翔会の「絆」ブログ

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 いちのみや観光まちづくりゼミの会主催、第31回一宮観光まちづくりゼミが24日に一宮ファッションデザインセンターで開催された。今回のテーマは、「一宮のキリシタン~その踏絵の残像をさぐる~」。元名古屋芸術大学副学長で、南山大学客員研究員の橋本裕明さんが講師を務めた。一宮にも隠れキリシタンの殉教物語がある。
 1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルによって薩摩から日本にもたらされたキリスト教。織田信長時代の許教時代には多くのキリシタン大名も誕生。その後、豊臣秀吉時代の弾圧時代、徳川幕府による禁教時代へと入っていく。そんな頃、一宮ではコスモ道閑やポール兵右衛門らが検挙され、火炙りの刑に処せられ殉教者となった。この事件は、後にポルトガル語で宣告を意味する「センテンセ」、火炙り殺害を表す「クロセタウ」として石に刻まれ、常光墓地にある水掛地蔵尊も殉教者を悼んだものだと伝えられている。
 隠れキリシタンは草の根分けても探し出して処刑するという、徳川幕府の強行的な方針に消極的だった尾張藩も、御三家筆頭として従がわなければならず、殉教者の子孫は六代後まで監視されていたともいう。日本での出来事は、記録や文献が散逸しているにもかかわらず、ローマのイエズス会本部には克明に記されているといい、厳しい弾圧の様子が同時進行で逐一本部に報告されたいた。この観光ゼミには毎回参加しているが、きょうのゼミは一際感動する内容となっていた。(尾張風の会・情熱改革・ふるさと再生、髙橋一・たかはしいち)