私には世の中という器の底に沈む泥をすくうことはできない。でも自分のくつ底についた泥は洗い流すことはできる。心についたどろも心のみぞに石が挟まっていれば、丁寧にとり除きブラシでみがく。

 

畑でついたゴム長底の泥はなかなかとれない。だから少し水に漬けて、みぞにこびりついた土を柔らかくする。ブラシでみぞから土を掻きだし、やわらかな布で水気をそっと拭う。

毎回毎回おなじことをする。「またすぐによごれるのに」とひとは笑う。

 

笑われてもいい。バカにされてもいい。

くつ底についた泥をとったあとのゴム長が、どれほど気持ちいいか今は私しか分からない。

 

何度も繰り返すとゴム長が愛おしくなる。丁寧に汚れを落とす自分が愛おしくなる。

そして、今度は泥がつかないように歩く。避ける。逃げる。

 

Uruが歌う「振り子」の中で、

「すり減ったくつの底にはどろや石が挟まったまま、わたしは生涯このくつであるいてゆく」

という歌詞がある。

 

私はくつ底についた泥や石は何度でも洗い落とす。

「またつくから・・・」「どうせとっても・・・」とあきらめて汚れたくつであるかない。

 

些細な抵抗かもしれない。

でも、そんな自分がとても好きになる。