自分の心の中に失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすのが、読書です。

(長田弘著「読書からはじまる」 ちくま文庫 より)

 

 

2023.4.02 中日新聞  女優 美馬アンナさん の記事 より

三歳の息子は、四肢欠損症で右手首から先がありません。出産直後に「手がない」と私が言って、医師たちも気がつきました。四肢欠損症に対する知識が全くなく、衝撃を受けました。入院中、何をやっても涙が出る。世界が真っ暗になるというか、闇に包まれるというか。そんな思いでした。

そんな私を見た夫(千葉ロッテマリーンズの美馬学投手)から「おなかの中にいる時に分かっていたら生まなかったの?」と聞かれた。即答できないでいると、「右手のことが分ってても俺は産んでほしいと言っていた。この子が良かった。俺たち二人の親のもとに生まれてよかったと、この子を幸せにしてあげる自信がある」と言われました。

 

「障害があってもいい」「障害のある子でもいい」  ではない。

「この子でもいい」と、「も」が付いていない。「この子がよかった」と言っている。

 

どうでもいいことかもしれない。他人は気にもしないかもしれない。でも、私はこの言葉に震えた。今でもその衝撃は残っている。

 

 

でも、この言葉から何故衝撃を受けたのか、言葉の意味や価値、衝撃の理由も考えるのを止めようと思った。少し考えてみたが分かりそうにないからだ。書いてもありきたりな理屈しか出てこないからだ。

 

それよりもただ震えるだけでいい。

何かに役立てようとも思わない。

そして、そのまま誰かに伝えたい。

それで十分だと思う。

 

聞いた誰かがその意味を解明したり、また誰かに伝えることが出来れば、それだけで十分だと思う。

何故ならその人の心も温かくなるからだ。

 

 

そして、「この子がよかった」は、私の中で失いたくない言葉になった。

だから、心のどこかに蓄え場所をつくって大切にそっと置きたい。

 

 

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講演・セミナー講師 顧客体験コミュニティ主催。「軽やかに暮らすためのコラム」や「役に立たない思い出や風景」を綴っています。著書「顧客体験コミュニティで気づいてなりたい自分になる」(kindleunlimited)。 当サイトでデジタルコンテンツを販売しています。