「モンシロチョウ」より

モンシロチョウ | 気づきのマーケティング講座 (stores.jp)

 

 「ダンシャリ」「ダンシャリ」と言葉ばかりが騒がれているので、遅まきながらブームに乗ることにした。六十歳を過ぎた節目の意味もある。

大病を二つもしているから、いつどうなるかわからない。大きな動機は、居なくなった時、「こんな部屋で」とか、「何をこんなにガラクタため込んで」と嘲笑されないためだ。死んだ後のことだから、何を言われても聞こえない、構わないのに、それでも見栄を張っているのか。

それでも、兎に角やってみる。まずは捨てるものを探すこと。整理整頓の整理も、要らないものと残すものを区別することから始まる。そして不要なものを処分する。勝手に捨てては家人の怒りを買ってしまうから、まずは自分の部屋から始めてみる。

 本棚から片付けようと上の段から手を伸ばせば、懐かしい本のタイトルに惹きつけられる。どんな内容だったろうかとページをパラパラめくり始めると、パラパラがジワジワに変る。

そして「これは残したい」という結論にいたる。そんなことをしているから、本棚の断捨離は一向に進まない。あきらめて、洋服ダンスに狙いを定める。夏服と冬服を分けていたつもりが、開けてみればおもちゃ箱状態だ。いきなり出鼻をくじかれる。

最近の異常気象も言い訳にしたい。春と秋の到来があいまいになっている。人間は、春は桜の三月、秋はお盆過ぎの虫の声と決めていた。しかし桜や虫といった自然の生き物は、異常気象を敏感に感じ取り、自分たちの生きるサイクルを変えている。人間が決めたように春や秋はやってこない。

ここにも断捨離を阻止する輩が迫っている。呆れないでいただきたい。故意にできない理由を挙げるつもりはない。私には、「ダンシャリ」が向いてないということだ。

 断捨離の、「断」は入ってくる要らないものを断つこと、「捨」は家にずっとある要らないものを捨てること、「離」はものへの執着を離れることと聞いた。自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的とされる。ヨーガの行法が元になっている為、単なる片付けとは違う。

ここまで書けばおわかりだろう。私の断捨離は次の二点から始める。
不確かな情報や罵詈雑言は取り入れない。
ものへの執着とひとへの執着を捨てる。

これはいつでも始めることができる。いつも心掛けないといけないことだ。

そして・・・

「捨はいつでもできる」と言い訳したら、本棚と洋服ダンスは今もそのままになっている。

 

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