こんな人参の収穫を期待していた。でも畑に蒔いた種から今も芽は出ていない。

 

9月から始めた市民農園で、大根と人参の栽培を始めた。その後、キャベツ、ブロッコリー、玉ねぎの苗も植えた。今ではイチゴの苗も新しい畝に十株ほどある。毎週その成長を楽しみに畑に通っている。

 

ところが人参だけは発芽しなかった。何故だろうとYouTubeで調べたり他人の畑をそっと覗き見した。市民農園ならではの楽しみだ。楽しいが人参の失敗は明らかのようだ。農家でも人参の種まきは失敗するという、だからそんなもんかと今週も畑に楽しく通っている。

 

今年の夏、初めて家庭菜園でナスを育てた。ホームセンターで苗を買ってプランターを用意して、色々調べて最良の土も買ってきた。早く早くと焦る人間を尻目にナスは悠々としている。見つけた紫色の花は、野菜売り場で見かけるビニール袋に入ったナスと結びつかなかった。それでも白い小さな実をつけ、枝がしなるほどの大きな紫の実になった。自分で育てたナスは子どものようにかわいい。

 

 

苗を植えて実になるまで3カ月かかった。これを長いと思うのか、わずか3カ月でこんなに大きく育つのかと感心するのか、考え方は様々だ。 でも、スーパーに並ぶナスしか見たことがなかった過去と比べれば様々な発見がある。

 

畑のナスは熱い。手に取ると太陽の熱を吸い込んで熱い。艶やかな紫色は「これでもか」というナスの意気込みも感じる。絵具でこの色はだせない。

 

スーパーのナスと比べて生きている。ここでは作物ではなく生きものなのだ。

 

作物は種を植えて芽が出て苗が地表に顔を出す。

苗は双葉となりどんどん大きくなり、茎も太くなっていく。

そして必ず花をつけ、その花は枯れ落ちて実を結ぶ。

植物はこれを何回も繰り返してきた。

今年はもうやめようとは思わない。

 

当たり前だけど、そんなナスの生き方に思いを寄せた。

 

 

思えば、たくさんのことを素通りしてきた。

ナスの種から芽を出し花をつけ実を結ぶ生涯を見ようともしなかった。

 

もっとゆっくり生きる術も有ったろうに。

当たり前のことを当たり前に、もっと淡々と生きる選択肢もあったろうに。

 

今まで素通りしてきたこと、その中には宝ものがあるかもしれない。