この一年、川底に溜まっていたヘドロのような醜悪や憎悪が掻き回され、水の濁りが目立ち始めた。今まで飲んでた水は、体裁を繕った上澄みだった。

 

気づいていた。でも底に沈殿した弱い人の苦しみを見ないようにしてきた。
見えないフリをしてきた。


濁りは、社会の汚れというような抽象的な色じゃない。
何千、何万というの痛みや辛苦が点として集まったものだ。

 

社会が前に進むとき、汚れが水面に浮かび上がる。今はドブ掃除の時かもしれない。浄化を目指した好転反応のときかもしれない。
 

そう信じたい。


そしていま、誰もが「人の悪い部分を探している」

 

「あの時もそうだった」「あの問題も」と、政治や社会への悪口が止まらない。

そうすると、どんどん気分が悪くなる。
自分とは関係ない人のことでネガティブな気持ちになっていく。

 

何とバカバカしい!

 

「人の悪口を言う」、「人が失敗すればいい」という思いは、自分に呪いをかけているのと同じと聞いたことがある。
悪口の主語を脳は理解できない。だから悪口を言えば、脳は自分に向けられたものと思う。

 

そして、怒れば怒るほど自分を正しいと思い込むようになる。
自分の正義がすべてだと思うようになる。厄介なものだ。

 

「怒りは自己を正当化し、正義になりすまそうとする」

 

しかし、正義には制限がある。

 

「決して人を傷つけてはいけない」

 

もし、自分の正義が他人を傷つけてしまったら、自分の間違いを認めなければならない。
自分の間違いを認めることは勇気がいる。責任も取らなければならない。

でもそうすることで濁った水は綺麗に澄んでいく。


そして、怒りは心に盛る毒だった。


興奮が心拍数を高め、心臓を圧迫する。
毒はやがて身体を蝕む。冷静な判断もできなくなる。

 

改めて今世を見れば、自分が見ている世界は自分が作り出した世界だった。
だから、怒りを持って見ればすべては怒りに満ちた世界になる。

 


それでも、素敵なことをたくさん見つけた。
だからこれからはこんなことを目指したい。

 

「誰かの日常にちょっとしたしあわせを」

 

それも与えるのではなく「添える」
大袈裟に人助けなんてできない。
でも、傍らのひとに、ほっとする瞬間を添えることは、私にも出来る。

 

 

嫌なこともたくさんあった。
だから人を批判することも否定しない。
そんな自分を責めてもしかたない。


でも素敵なこともあった。
だから、これからはもっと素敵なことに目を向けたい。

 

嫌なことはこの先も無くならない。
でも素敵なことも決して無くならない。
だったら、素敵なことを少しでも多く探していきたい。

 

人の一生も同じだと思う。

悲しい時はシクシクと泣く  4×9=36
嬉しい時はハッハッと笑う   8×8=64
合わせて人の一生は100になる
シクシクと泣く日が多い時もある
でもどんなに号泣しても・・・5×9=45
人生の半分を超えない


「上を向いて歩こう」
そして、素敵なことを探しに行こう
素敵な人を応援しよう
これが、これからの私の目標だ。