年明けから、すっかり重い波動に引き戻されていました
でもこれも、「良い悪い」ではなく「ただそうである」それだけのこと。
重い波動の中にいるのはしんどいけれども、今は「それ」を体験する必要があるから体験しているに過ぎないんだろうな、と思います。
私は仏壇の前で手を合わせる時、天からキラキラとしたエネルギーが降り注ぎ、私の中を流れていくイメージが頭に浮かびます。
今日もそうしていたら、「あなたも流れの一部」というメッセージが入ってきました。
以前「個であり全である」という記事を書きましたが
まだまだ私の中では、“私”という存在は「独立した存在」である、“個”の感覚が強いです。
だから、その天からのエネルギーを「受け取る」という感覚にしかならないんだけれども…
同時に“私”もまたエネルギーであり、流動的であるのだから、その「天のエネルギー」と「私のエネルギー」の“境目”など、区別がつかないのではないか?と思いました。
しばらくどっぷりと三次元のエネルギーに浸って、思い通りにならない、うまく伝わらない、怒りやもどかしさを感じていたけれども。
やっぱりこれを楽しむために、地球に来たんだなぁ、と、改めて感じます。
そして、今までは「恩返し」や「みんなのため」に、あれこれ改善したいと思っていたけれど。
“改善そのもの”が「私の好きなこと」であり「生きがい」でもあるのだと気がつきました。
ストレングスファインダーで、改善が得意な「戦略性」が私の強みだとは知っていたけど。
その能力を発揮すること自体に“悦び”を感じていたのだと。
他の方の受け売りですが、「好きなこと」をすると、自然と周りの人のためにもなるように出来ている。
それが“使命”。
命の使いみち。
「やらなければならない」といった義務感に囚われてしまうと、逆に視野は狭くなり、本質が見えなくなる。
「私は改善が好きだから、改善をしたいんだ」と気がついたら、肩の力が抜けて軽くなりました。
ここのところ、「すぐにでも形にしたい」と焦っていたけど。
「私ならこうするのになぁ」とシュミレーションして楽しむ。
物事を探求して、知識を得る。
これも私の「好きなこと」
それがいつか何かの、誰かの役に立てばいい。
そうでなくても楽しめたんだから、それでいいじゃないかと。
あくまでも私の体感ですが、今月から全体のエネルギーが一気に“上昇”していくような予感がしています。
自分の好きなこと、楽しいことに意識を向けると、上手くその流れに乗れるんじゃないかなぁと思います
それではまた。