世間はクリスマスムード一色ですが…


こういうイベント時は特に、遺族の方々の悲しみや苦しみ、「死にたい」と悩んでいる方々の孤独感は、さらに強くなります。


ということで、私も平常通りの投稿をしたいと思います昇天


 先日の記事の続きで、自死した方は「その場に留まって成仏できない」というお話について。  



↑こちらの記事、予想以上に多くのアクセスがありました。


アクセスして下さったのが、自死遺族の方々なのか、自死を考えている方々なのかは分かりませんが、やはり「自死した後どうなるのか」というのは、多くの方が気になるところなのだと感じました。


今回も私なりの見解になりますので、話半分で読んで頂ければと思います。



そもそも“成仏”とは、「天国に行くこと」でも、「消えてなくなること」でもありません。


本来“成仏”とは「煩悩が消えて悟りを開いた状態」のことを指します。


なので、生きているうちに悟りを開いても“成仏”になるんですね。


“煩悩”は、“執着”と言い替えても良いと思います。


もっとお金が欲しい、もっと愛されたい、もっと美しくなりたい、もっと有名になりたい…


何度も言いますが、“死ぬ”とは「肉体が無くなった」だけのこと。


であれば、執着が手放せないうちは、生きていようが死んでいようが「悟りを開いた状態」になることは出来ません。


「嫉妬の炎に焼かれる」とも言うように、自らの強い執着が原因で自死を選んだ人は、成仏しずらいのではないでしょうか。


死んで“魂の状態”になると、この世の真理や仕組みなど全てが分かり、“成仏”の状態になる(らしい)のですが、執着が強すぎると「成仏するのを自ら拒んでいる状態」になるのだと思います。



私には霊感もないし、いわゆる“地縛霊”のような存在と繋がったこともないので、断言はできませんが…


生きている人間でも、執着が強すぎる人は極端に周りのことが見えなくなり、身近な人とも疎遠になっていきます。


そこでまた逆恨みしたりして…

それこそ“無間地獄”のようです。


そんな状態で肉体だけが無くなっても…とても楽になれそうにはありませんよね。


おそらく多少の執着や恨みつらみぐらいなら、亡くなってから「実は心配してくれていたんだ」「こんなに愛されていたんだ」と、周りの人たちの思いに気づき、執着を手放すことが出来るのだと思います。


生きている間は、言葉にしなければ気持ちは伝わりませんが、魂の状態になれば想念で伝わりますから。



よく臨死体験などで、「亡くなった自分の姿を上から見ていた」と言われますが、あまりに執着が強すぎて“そのこと”しか見えていないと、亡くなった自分の姿すら目に入らないのではないか、と思います。


身近な人とは疎遠になっているから、「誰かに話しかける」ということもしない。


誰かが“お迎え”に来てくれたとしても、気づかないか、突っぱねて帰してしまうでしょうね。


そして、自分が死んだこと自体に気づくことができず、その場に留まり、延々と自死を繰り返したり、通りすがりの周波数の近い人を巻き込んだりするのではないでしょうか。


地縛霊というより、“自縛”霊ですね。


そういった魂になってしまうのは、おそらく自死の中でも、とても稀なケースだと思います。



生きている人間同士でも、周波数が違いすぎれば巡り会うことがないように、私がそういった方と繋がらないのは、周波数が違いすぎるからだと思います。


そういえば、昔お付き合いしていた彼も、極端に我が強く、周りのことが見えない人でしたが…


少し霊感があったようで、私には見えない”怖い人”に、度々怯えていましたね…


私も彼に振り回されているうちに、周りの人たちと疎遠になり、精神的にもボロボロに。


早々にお別れして、本当に良かったです。


それも正確に言えば「“強制的に”お別れせざるを得ない状況に陥ったから」で、今思えば、見えない誰かが私を護ってくれたのかもしれません。



少し長くなってしまいましたが…


自死した方たちすべてが、いわゆる“地縛霊”になるわけでは無い、ということをお伝えしたかったので昇天


次回は「自殺がダメな理由」について書こうと思います。


それではまた。




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