知り合いの方から「河田さんの感想を聞いてみたい」ということで、NHKの番組“FACES”の、中村中さんの回を紹介していただきました。
NHKプラスでの配信は終了してしまいましたが、お話の内容については検索すれば出てくると思うので割愛しますね。
中村さんのお話を聞いているうちに「いじめって、社会の縮図なんだな」と気が付きました。
“貧富”の差が生み出す、貧困層への差別。
“男女”のどちらにも属さないセクシュアリティへの偏見。
“上下”で人を判断し、立場の弱い者を恐怖で支配するやり方。
“損得”ばかりを重要視し、心をないがしろにする価値観。
これらは子供や学校内だけでなく、社会全体に言えることです。
先日のブログともリンクするのですが、“いじめ問題”だけを見ていては、いじめは決して無くならない。
「私いじめられてないし」「子供いないし」「教育関係者じゃないし」ではなく、“日本に住む誰もが当事者”ということです。
私は、“貧富”、“男女”、“上下”、“損得”、“善悪”、“正誤”などの「二元論的な思考」が、あらゆる問題の根本にあると思います。
コロナ騒動では、“ウイルスは悪”、“マスク、ワクチンは善”という構造でした。
ウクライナの問題でも、“ロシアは悪”、“ウクライナ、アメリカは善”という風に演出されています。
二元論的な思考は、物事の表面のみに焦点を絞るため、そこに至った背景を見えなくさせます。
自分と違うもの、相対する意見を“誤り”とみなし、攻撃することで、「自分は正しい」と優越感に浸る。
マジョリティに属することで、安心感を得る。
結局のところ、自信が無いんですね。
自信があれば、攻撃する必要はありませんから。
自信がないから二元論的な思考になるのか、二元論的な思考だから自信がなくなるのかは分かりませんが。
でも、もちろんこれも「二元論は良くない」という、“良い・悪い”の話ではありません。
物事を、もっと俯瞰的に捉えること。
相手の視点や、別の角度から物事を捉えることが出来れば、おのずと「自分との違い」「他人との違い」を受け入れられるようにもなります。
今のままでは、いじめ問題の解決はおろか、世界平和もやってこないよね、というお話でした。
それではまた