NHKで1993年~94年に放送された「大人の人形劇 平家物語」の再放送が始まってだいぶになりました。原作は吉川英治です。平清盛の出世から栄華を極めるまでは既に終わり、今週は一ノ谷の合戦まで来ました。
鵯越の逆落としの後、須磨の浜辺の平敦盛と熊谷直実の哀しい物語が始まります。私達の世代は大河ドラマ「源義経」(1966年)を思い出します。悲劇のヒーロー敦盛に舟木一夫さん。そして敦盛の首を打つ熊谷は中村竹弥さんでした。
舟木さんの美貌は際立っていました。これ以上の敦盛は他にいません(身贔屓です)。中村竹弥さんの熊谷も情がありました。この作品は当時の尾上菊之助さんが義経、頼朝は芥川比呂志さん、静御前は富士純子さん。能登守教経は山口崇さん。魅力的で重厚な布陣でした。とても格調高い大河ドラマだったと思います。
「大人の人形劇 平家物語」は原文よりもっとドラマチックに演出されていて、人形の表情やセリフに引き込まれていきます。人形の衣装、小物、その他あらゆるところまで贅沢に作られています。
以前書いた平家物語の原文がありましたからそれを使って、須磨の浜辺の悲劇を紹介します。
「平家の公達たすけ船にのらんと、汀の方へぞおち給らん。あはれ、よかろう大将軍に組まばや」とて、磯の方へあゆまするところに
ねりぬきに鶴縫うたる直垂に、萌葱匂の鎧着て、鍬形打たる甲の緒締め、黄金づくりの太刀を佩き、きりふの矢おひ、しげ藤の弓もて連銭葦毛なる馬に金覆輪の鞍をいて乗たる武者一騎
沖なる船にめをかけて、海へざっとうちいれ、五六段ばかりおよがせたるを
「あれは大将軍とこそ見まゐらせ候へ。まさなうも敵に後ろを見せさせたまふものかな。返させたまへ。」と扇を上げて招きければ、招かれてとつて返す。
汀に打ち上がらんとするところに、押し並べてむずと組んでどうと落ち、とつて押さへて首を
かかんと、甲を押しあふのけて見れば、年十六、七ばかりなるが、薄化粧してかねぐろなり。
わが子の小次郎がよはひほどにて、容顔まことに美麗なりければ、いずくに刀を立つべしとも
おぼえず。
「そもそもいかなる人にてましまし候ふぞ。名のらせたまへ。助けまゐらせん。」
「なんじはたそ。」
「ものその者で候はねども、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実。」
「さては、なんぢにあふては名のるまじいぞ。なんぢがためにはよい敵ぞ。名のらずとも、
首をとつて人に問へ。見知らうずるぞ。」
「あっぱれ大将軍や。この人一人討ちたてまつりとも、負くべき戦に勝つべきやうもなし。
また、討ちたてまつらずとも、勝つべき戦に負くることよもあらじ。小次郎が薄手負ひたるを
だに、直実は心苦しうこそ思ふに、この殿の父、討たれぬと聞いて、いかばかりか嘆きた
まはんずらん。
熊谷涙をおさへて申しけるは、「助けまゐ らせんとは存じ候へども、味方の軍兵雲霞の ごとく候ふ。よも逃れさせたまはじ。人手にかけまゐらんせんより、同じくは、直実が手にか けまゐらせて、のちの御供養をこそつかまつり候はめ。」と申しければ「ただ、とくとく首を取れ。」とぞのたまひける。
熊谷あまりにいとほしくて、いずくに刀を立つべしともおぼえず、目もくれ心も消え果てて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべきことならねば、泣く泣く首をぞかいてんげる。
「あはれ、弓矢とる身ほど口惜しかりけるものはなし。武芸の家に生まれずば、何とてかかるうき目をば見るべき。情けなうも討ちたてまつるものかな。」とかきくどき、そでを顔に押し当てて、さめざめとぞ泣きゐたる。
さてもあるべきならねば、鎧直垂をとって、頸をつつまんとしけるに、錦の袋にいれたる笛をぞ腰にさされたる。
「あないとおし、この暁城のうちにて管弦し給ひつるは、この人々にておはしけり。当時味方に東国の勢なん万騎かあるらめども、いくさの陣へ笛をもつ人はよもあらじ。上ろうは猶もやさしかりけり。」
九郎御曹司の見参に入りたりければ、是を見る人は涙をながさずといふことなし。後にきけば、修理太夫経盛の子息に太夫敦盛とて、生年十七にぞなられける。
それよりしてこそ熊谷が発心のおもひはすすみけれ。
届けられた熊谷の文と、さ枝の笛を手に涙する敦盛の父平経盛。敦盛を思いながら笛を吹きます。
件の笛はおほぢ忠盛笛の上手にて、鳥羽院より給はられたりけるとぞ聞こえし。
経盛相伝せられたりしを、敦盛器量たるによって、もたれたりけるとかや。
名をばさ枝とぞ申しける。
須磨寺に伝わる笛
須磨寺
敦盛塚
今の須磨の浜辺