前回は、盛大に母の悩みをぶち撒けました
いろいろな形でアドバイスや励まし、共感のお言葉を頂き、ありがたかったです。
私の主な不満って、娘が、自ら課題を自覚して効率的に練習をしないことでした。
自分で問題意識を持てないなら、具体的に指摘してもらい、やり方も教わってこい!(やけっぱち)と暴論になり、
自ら気付くという大切な学びの機会を奪ってしまうところでした
もし今の先生が、指示出しの嵐!みたいなレッスンをされていたら、私は満足していたでしょうか?
いいえ、そうじゃないからこそ、長年に渡りお世話になっているのです。
いい年の大人になった私にとっては、先生のレッスンは思考と啓発に満ちていると感じられます。そんなレッスンを受けている娘たちが羨ましいくらい。だからこそ、そこから何を吸収してくるのか?ということに過度な期待をしてしまいます。
ですが、中学生である娘たちは、往々にしてそれを受け流してくる。レッスンが素晴らしいだけに、私はそれをもったいない!と勝手に思ってしまうのですね。
でも、全部を無にしているわけではないこと、娘たちの成長ぶりを振り返れば一目瞭然なのです。
そして、何よりも先生が娘たちの音楽を認めて下さっている。好きだとおっしゃって下さっている。
100ある気付きから99を流してしまったとして、1つでもキャッチできていたら十分だという意識が親である私には欠けている。さらに、毎回のレッスンで必ず何かを身につけてきて欲しいと(無意識であれ)願う性急さは、親の我儘です。
そもそも、中学生の頃の自分が、そんなに能動的にレッスンを受けていたのかといえば、そんなことなく、練習の態度も娘たち以下です。
私のピアノのお稽古での大切な記憶は、小さな頃に通っていたお教室のお姉さんが弾いていた、クーラウのソナチネ55-1に心底憧れたことと、インベンションかシンフォニアを学んでいた時に、苦労していた多声の弾き分けが、ある日すっとできて、耳がそれぞれの旋律を別々に聴き分けてる!気持ちいい!と感じた魔法のような瞬間です。
たくさんの貴重な教えに気付けず、受け流してしまったことが大半だったかもしれませんが、それでもピアノは大好きでした。
娘たちにそれ以上を求めてはいけないですよね。ここまでピアノを続けてきてくれたことに感謝です。