しばらくお休みします。

すみません。


来月には復帰予定。


大樹のブログ


日露戦争では当時の国家予算の

約四倍に当たる二十億円を費出。

戦後に開かれたポーツマス講和会議では、

これを埋め合わせる戦争賠償金が

支払われなかったことから、

国内では講和反対の世論がわき上がった。

県内では「鎮西日報」「長崎新報」

「長崎新聞」「九州日之出新聞」の四社は

講和反対の論陣を張ったが、

「東洋日の出新聞」だけは講和支持を貫いた。

日露戦争で激減した長崎港の

対露貿易の復活による経済復興が理由だった。


徳川 大樹


長崎の歴史



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(明治三十八)年になると旅順陥落、


奉天占領、日本海海戦勝利などで新聞は報道のほかに、


祝勝会に合わせた行事を企画。特に同年五月二十七、


二十八日にあった日本海海戦の報道では、


唯一現存する「東洋日の出新聞」の場合、


同三十日付で「大日本海軍全勝 バ艦隊全滅」


の二段抜きの毛筆文字の大見出しが躍った。


長崎新報も従軍記者を派遣。


内外の重要な情報源の地にも特派員を置いた。


紙面でも写真銅版を採用、


実写報道の端を開くなど戦局報道に知恵を絞る一方、


無休刊を励行。号外を一日に二、三回も頻発した。



徳川 大樹



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