前のブログで、石破新総裁は防衛に関しては、その経験と思考から独自の構築された
防衛論
の持主であると記しました。
さらに自由民主党の根源的な三つの流れにおいて、田中角栄の流れに連なる対アメリカ政策として、
アメリカからの自立論
を、その思想としていると記しました。
田中は、自らが権力闘争において使った金権選挙で国民の反発をかいました。
それ以上に対中国、そして独自のエネルギー獲得(石油です)政策の両方が、アメリカの逆鱗に触れて失脚します。
そして上記の防衛論とは真逆(?)で、石破にはこれと言った経済論は持ち合わせていないとも記しました。
でも・・・。
それって余り関係の無いことだと、わたくし・新垣清は思っています。
それは他の二つの流れの自由民主党の代議士だって、
現在の日本経済を立て直すだけの政策
などは、一人も持っていないからです。
その面を考慮すると、ただただアメリカ追従の・・・。
岸、安倍(含・麻生)の流れにある高市や・・・。
どのような政治信念を持っているのかさえ不明な小泉などと比較しても、まだまだ石破の方が良いとわたくしは思っています。
なぜなら、筆者の住むアメリカは、いま現在ある意味、好景気に沸いています。
しかし・・・。
この沸き方は、ゼンゼン国民が幸せにはならない沸き方だなぁ~というのが、わたくしを含めた大多数のアメリカ人の想いであるはずです。
そして、このようなアメリカの後塵を拝しているだけの日本国は、好景気にはゼンゼンなれないし、かつ国民はゼンゼン幸せに向かっていると感じることが出来ないことになっています。
なぜか・・・?
答えは簡単です。
それは
アメリカ型の資本主義経済は、
もう完全に
行き詰っているからです。
これを感じるのは、統計や資料をどんなに調べても無理です。
以前からわたくしが本ブログで、政治家、高級官僚、(政治・経済)学者、評論家などのいわゆる有識者と呼ばれる人々を、あまり信用しない。
あるいは彼らの意見を、自分の考えを構築する際に採用しなくなったのは、それが大きな理由です。
なぜなら、彼らは統計や資料を作るプロでしか無いからです。
でも統計や資料って、大部分の場合・・・。事柄が起こった後での跡片付けでしかないのです。
または、辻褄合わせになる可能性が大でしかないのです。
政治や経済などという、まだまだ科学にさえなっていない・・・。
人間の概念だけで作り上げる部門においては、個人の頭脳の良さ、頭脳の柔軟さ、または閃きがあるか無いかの違いだけです。
ですから、わたくしは政治学や経済学などという学問は本来は存在しない。
存在するのは、政治史学、経済史学などにしか過ぎないのだと申し上げているのです。
現在の我が日本国においては、そのメージャーな政治学、経済学がすべてアメリカから学んだ、アメリカ型資本主義を母体してして発達したものでしかありません。
その母体が行き止まりになっているというのに、それを活用して打開策を見つけようとすること自体が無理なのです。
安部が打ち上げたレーガンのレーガノミクスを模倣したとも言える、アベノミクスや三本の矢などの政策が、如何に我が日本国を弱体化したかは、もう読者の皆様承知の出来事だと思っています。
だからと言って、現在の日本国の巷でささやかれる、ポスト資本主義や、資本主義のアンチ・テーゼの存在でしかない、社会主義、共産主義などの復活などもナンセンでしかありません。
アンチ・テーゼなどは、テーゼが存在するからこそ、その存在価値があるのであって、それ自体で存在できるものでは無いのです。
これらに関しては、何時かまとまったカタチで陳べます。
いまは、石破にどれほど経済的な閃きがあるかを見極めたいと思っています。