さすが、「ナベツネ」氏の分析! | 新垣 清のオフィシャルブログ

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新垣清が自らの経験と考えに基づいて「思想・文化」、そして「政治・世界情勢」を語ります!

 

 以前も記しましたが・・・、

 

 わたくしの本職(?)は、空手家であり、

 空手道の道場主・経営者であり、空手の指導者であり、かつ空手の修行者・実践者でもあります。

 

 さらに空手の技術書以外にも、小説も、そして歴史書も記して、出版していますが・・・。

 

 付け加えるに、わたくしは沖縄の出身である日本人であり、かつアメリカに長年住む、日本人でもあります(アメリカの、永住権を持つ日本人でありますが・・・、アメリカ市民ではありません)。

 

 そして、空手家として生死の狭間まで修行して(笑)、空手の歴史的・技術的・伝承的な限界まで突き詰めた心算です(大笑)。

 さらには、大言壮語するようですが、その限界を突き抜けたレベルまでの修行も、自分に課して、遣り通したとも思っています(笑極限)。

 

 自分の本職(?)である空手に関しては、一分の疑問も生じないほどに、歴史的、技術的な、そして伝承的な変移と、その根源にたどり着くほどの修行と幸運を得た心算です(記した本人も、笑い過ぎて涙を流していますので・・・)。

 

 そして、空手と言うか、日本文化(含・琉球)において、武とは行政を含むものであり、武士、侍とは、行政官という意味も含むものである! と言う歴史的意義も理解した心算です。

 

 だからこそ武道とは、格闘技(そのまま)では無いのですね。

 

 そして武としての空手、さらに一独立国として琉球王国の武の遍歴(または国の興亡です)を模索したわたくしは、武と外交を駆使しなければ為らない、ひとつの国の生末(いくすえ)というものが、一応は読めるという傲岸な思いもありました。

 

 そこまで、大言壮語できたわたくしですが(?)・・・・、

 

 今回の、トランプ氏のアメリカ大統領の選出は予想できませんでした。

 

 アメリカという国は、かつてわたくしにとって自らの故郷を侵略した国であり、かつわたくしがその生涯の大部分を過ごしている国でもあります。

 

 その為に、トランプ氏の勝利という時のショックというものは、自分が生死を懸けた戦いに、無残に敗北したということと、同意義だと思っています。

 

 そのショックのリ・カバーリーに必要な時間を経るため、そして自らの敗北の責任を取る為に、このグログは開店休業の様子を示しています。

 

 ただ・・・、その休業の間に、わたくしは、トランプ氏勃興のバック・ボーン(背景)となった、

 

 アメリカの社会的、政治的、そして文化的な要因を模索していました。

 

 それは今までわたくしが思ってきたアメリカ、理解できていた心算でいたアメリカの、

 

 政治、文化、そして社会において、自分は大いなる勘違いをしていたのではないか? 

 

 という疑問から生じた、見直しです。

 

 基本的には、人生の全てにおいてチャラン・ポランなわたくしですが・・・、

 

 この様な基本的、根源的な事柄に関しては、

 

 自分の納得のいくまで、トコ・トン追求する人間でも、あります。

 

 しかしながら・・・・、

 

 トコ・トン追求するとは言っても、その追求の足掛かりが一向に見えてこないために、

 

 ここ半年ほど悶々とした日々を送っていました。

 

 まず、その分析を行う為には・・・、

 

 今回の大統領選挙戦において、共和党候補者(?)のトランプ氏が、

 

 なぜ民主党代表のヒラリー・クリントン氏を破ることが出来たのか?

 

 という分析が必項となります。

 

 すなわち、直截的に言えば、「ナゼ、(大統領)選挙に勝てたのか?」

 

 っと、言う事です。

 

 すなわち、選挙で起こった現象の分析です。

 

 その分析はいろいろなところで為されていますが、

 

 わたくにとって分析を行う上で一番役に立ったのは、

 

 読売新聞の「ナベツネ」こと、渡辺恒雄氏が「文芸春秋」の四月号に寄稿した文章です。

 

 紙上、他の多くの方々もトランプ現象(その勝利)に関して、各々の意見を述べていますが、

 

 事(コト)・・・、選挙戦での数字を挙げての分析は、「さすが、名うての(元)新聞記者!」と、

 

 思わせるところがありました。 

 

 まあ、今、文部科学省の前川喜平・前次官の、出会い系バー報道問題で物議を醸し出している読売ですがね・・・。

 

 これらの分析などで、選挙戦での実態が、やや自分の中では明らかになっていきます。

 

 すなわち貧しい白人層の危機感、焦燥感を、トランプ氏は取り込んだという、

 

 まあ誰でも分かる分析に、落ち着かざる得ないということですが・・・、

 

 しかし、「選挙戦の実態は分かった」。

 

 「でも・・・?」という思いが、わたくしの中ではまだ払拭できていませんでした。