今回のアメリカ大統領候補の
民主党候補のヒラリー・クリントン氏と
共和党候補のドナルド・トランプ氏の討論において、
わたくしの意見は、他の多くの日本とアメリカの政治家、評論家とは
(またまた)違う意見だと、前回のブログで述べました。
トランプ氏が、延命した。
クリントン氏の詰めが、甘かった・・・、
などなどの意見がありますが。
わたくしの意見は、まったく異なるものです。
わたくしの感想を言わせてもらえば・・・、
自壊する相手に合わせて、
自分も深みに嵌っていくほどほど、愚かなことはありません。
すなわち、クリントン氏にとっては、トランプ氏とは・・・、
このまま朴っておいても、自らの行い(発言)で、自壊する人間でしかありません。
クリントン氏にとっては、それを見切れるのか?
見限ることが出来るのか?
が、今回の討論のハイライトであって、
それ以外の、そしてそれ以上のものでは、無かったのです。
大言壮語するようですが、わたくしは政治、文化、歴史においてのこの見切りを
自らの修行する空手というもので、徹底的に学んだという気がしています。
わたくしは、空手という一つの心身文化の歴史、技術、思想のすべてを、
解明し、己のものとした心算でいます。
(笑ってください。書いた本人も、大笑いしていますので・・・)
一つの心身文化を理解すれば、他のそれを理解するのは比較的に容易です。
政治というものも、畢竟それは、空手と同じく、生身の人間の行うものでしかありません。
戦うための、戦略・戦術もそうです。
ならば、単体の人間が行う空手という武道・武術と、
大多数の人間が参加するために必要な(政治的な)、戦略・戦術も同様なのです。
そのために、
わたくしの予想は、必ずと言ってよいほどに、中(アタ)ります(筆者大笑い)。