北京での最後の仕事⑤
大会最後の2日間は、フォーマット2という60分(30分×2)の試合であった。
北マリアナ諸島は、日本、北朝鮮、モンゴルとの組み合わせとなった。
日本のU-14は各9地域より優秀な選手が選抜されたチームである。
つまり、U-14代表チームとして、代表監督がチームを作るために選んだ選手たちではなく、各地域で将来性があるタレントが推薦されてできたグループである。
日本のスタッフいわく、「チームとしての活動はしていない」とはいうものの、各選手たちのほとんどは、Jクラブの下部組織でプレーしているいわばプロの卵である。
結果は、0-18、ボール支配率はおそらく日本が95%以上あっただろう。
現状では、日本のチームにワンタッチかツータッチでボールを動かされると、目と頭と身体のすべてがついていけない。
特に、壁パスをされたり、またはFWに縦にボールを入れられMFにワンタッチで落とし、それをDFの裏に3人目の動きで出されると、もう北マリアナの選手はマジックを見ているような感覚だったと思う。
北マリアナ諸島では、壁パスのようなプレーを見ない。なぜならば、パスを出した後、動くということが習慣としてない。相手のプレッシャーもないから、そのようなプレーをする必要がない。よって、ボール保持者をマークしていても、パスを出した瞬間にみなボールを見ることになる。
相手からすれば、見事なまでのボールウォッチャーなので、パスを出して3m動けばマークをはずせる。
北マリアナにきて、本当にサッカーを一から勉強している感覚がある。
ボールを止める、蹴る、運ぶという基礎がしっかりできないと、次の段階にいけない。
基礎ができても、顔が上がって状況が見えないと次のプレーができない。
しかも、その判断が本当に効果的な判断だったのか・・・。
それを、相手のプレッシャーやボディーコンタクトを受けながら、技術を発揮するのは至難の技である。
サッカーの奥深さを痛感するのである。
その後、北朝鮮には0-9で負けたが、モンゴルには2-2で引き分けて大会を終了した。
全試合を終えてみれば、台湾とマカオに勝利し、中国とモンゴルに引き分け、グアムと北朝鮮に2度ずつ負け、日本にも負けた。2勝5敗2分ということで、単純に勝ち点で比較すれば、マカオ・グアム・モンゴルよりも上位で終わった。
私は選手たちの力を過小評価していたのかもしれない。
というよりも、試合を通じて相手の動きやスピードに順応していく選手たちがすばらしかった。
北マリアナのサッカーはまだまだこれからであるが、人々のフレンドリーで明るい性格に、私は多くのことを学んだ。
U-14の選手たちも友達作りの名人である。その点においては、彼らに学ばなければいけない。
(食事会場にて日本の選手たちと北マリアナの選手たち)
北京での最後の仕事④
大会フォーマット1の組み合わせは、1日目北朝鮮、台北、グアム、2日目中国、グアム、マカオであった。
大会のルール上、2チーム編成し、交互に試合を行わなければいけないことを考えると、
チーム1は北朝鮮+グアム+グアムと試合をし、チーム2は台北+中国+マカオと試合をすることになる。
この6チームの力関係で言えば、北朝鮮・中国・台北・グアム・マカオの順であろうと考え、唯一勝てるかもしれないマカオとの試合にベストチームが戦えるように配慮し、われわれのベストであるAチームをチーム2にし、年齢が11・12歳へ編成した弱いチームをチーム1にして戦うことにした。
ひとつでも勝利することで、AFC加盟に向けてアピールしなければならいのだ。
4月25日、緒戦の相手は北朝鮮。
2010年の東アジアU-15の大会でも26点取られ、2011年の東アジアU-15でも22点取られた相手である。
今回、よりによってわれわれのお子様チームで戦わなければいけない。
戦前の正直な気持ちは、「試合時間も30分と短いので、何とか10点失点以内におさえたい」というのが本音であった。
しかし、終わってみれば0-2で負けたものの、大善戦である。
ピッチコンディションが悪かったことで、北朝鮮の選手たちはファーストタッチで、苦労していたし、実際に多くのミスをしていた。
そのミスを恐れるあまり、前へボールを運ぶよりも、安全なプレーをしてくれたおかげでもある。
続く、第2戦はわれわれのベストチームと台北である。
昨年のU-15の大会で16失点した相手である。
しかし、戦前の予想を覆し、われわれが2-0で勝利したのである。
2得点のうち1点はオウンゴールであったが、相手ボール保持者に対しプレッシャーをかけたことによるミスを誘い出したわけだから、立派な得点である。
われわれのベストチームが緒戦で勝利したことが、選手たちにものすごく大きな自信を植え付けた。
特に「緒戦」「0失点」「格上相手の勝利」ということで、選手の目の色が変わってきたのである。
その後、Bチームで戦ったグアムのは試合は2回とも負けてしまったが、Aチームは中国に1-1で引き分け、マカオには1-0で勝利したのである。
2日間のフォーマット1が終わり、私はこの大会にこれなかった選手を思い出していた。
一緒にサザンハイスクールやコブラビル小学校のグランドでトレーニングをしてきたのに、最終エントリーの22名に入れなくて、悔しい思いをした選手たちのことである。
彼らのためにも、ある程度の結果を出すことが義務だと思っていた。
(サザンハイスクールでの練習)
北京での最後の仕事③
このAFC U-14フェスティバルという大会は、アジアを地域別にわけ毎年2月~6月の間に開催されている。
東アジア地域のこの大会のは、日本、中国、韓国、北朝鮮、香港、マカオ、モンゴル、台北、グアム、北マリアナ諸島の10の国と地域が参加している。
すでに、アラブ方面の西アジア、ウウズベキスタンなどの中央アジアでは、同大会が終了し、東アジアの次に、南アジア、東南アジアで開催される。
「このフェスティバルは、『競技会』ではなく、あくまでも『フェスティバル』なので、勝敗による戦績は記録しない」
というのがAFCのスタンスであるが、各国その年代の代表を引き連れて、国のプライドをかけて戦う。
しかし、日本は地域性を考慮した選手選考(9地域から選ぶ)になっており、「純粋に代表とは呼べない」と聞いた。
北マリアナ諸島は、純粋に代表である。
といっても、多くの選手から選りすぐられた精鋭かといえば、すこし違う。
何せ、選手数が少ないため、代表になりたい人がなれるのである。
もちろん代表選考会は行われたらしい。
というのも、わたしがビザの関係でサイパンに不在中におこなわれていた。
サイパンには、6つのクラブチームがある。それぞれのチームから、代表選手になるための条件を満たしている選手、つまり「年齢が14歳~11歳」「国籍がアメリカ」の条件を満たす選手を集めると大体40名くらいが集まる。
中には初心者もいるため、サッカーをやったことがある選手を残すと、大会エントリーの22名くらいに落ち着くのである。
北マリアナの22名のうち11名は11歳と12歳なのである。
しかし、それが現実である以上、そのメンバーで戦うしかない。
大会に話をもどすと、最初の2日間をフォーマット1とよび、30分1本だけの試合を6試合行う。ただし、けが以外の交代選手は認められない。また、同じ選手が2試合連続で出場できない。つまり登録の22名を2チームにわけ、その2チームが交互に試合を行う、というものだ。
そして、最後の2日間をフォーマット2とよび、30分×2本の試合を3試合行う。ただし、前半と後半の選手を全員入れ替えないといけない。フォーマット2では前後半それぞれ15分が経過した時点で3人を上限とした選手交代がみとめられている。
趣旨は、「全ての選手に出場の機会を!」ということなのだろう。
北マリアナの監督として、悩みどころは、2チームのレベルを均等にして臨むのか、それとも強いチーム(年齢が上)と弱いチーム(年齢が下)に分けるか、というところにあったが、均等化して全て敗戦で終わるよりも、強いチームが1つでも勝つことが出来たり、引き分けることができたりするほうが、今後につながると考え、フォーマット1は後者で臨んだ。
年齢が下のチームは、こんな感じなのである。
日本で言う、小学校5・6年生が中学2年生と試合するようなものなので、勝敗なんて気にしない。
自分の持っている力を出すだけだ。