年末年始、父はショートステイ、母は自宅の予定でした。

GWの頃、弟と[年末年始お母さんのお風呂はどうする?お風呂の日だけ小規模多機能型ホームにお願いする?]と話していました。

あの頃は背中の痛みは訴えていましたが、私達は年末年始の話をするくらい楽観視していました。

母がこの世から居なくなるなんて、考えもしなかったです。

父のショートが決まれば、楽しい年末年始になる予定でした。

母の肺癌・転移性骨腫瘍による闘病生活は短いものでした。

5月10日救急車で入院、5月28日老人ホームに移動、6月29日に旅立ちました。

生き急いだような闘病生活です。

母はどうしてこんなに急いだのでしょう。

母は常に「お姉ちゃんと○○(弟)に迷惑を掛ける」と口にしていました。

長い闘病生活にならないように、母は自ら死期を決めたような気がします。