物事をなす時には他人が何を言おうが自分の中に、自己流の信念で生きられる人間も或る種の天才の範疇だ。社会的に賛美されずとも作為する時は徹底的な信念を持ちながら行動する事が肝心だね。他人は何を企んでいるのか全ったく分からないんだから。騙す時は自分自身さえ騙されてしまう位する事が出来るなら、或る種の天才とも言える。これが天才だなんて条件はないんだね。自分を信じられる人は全て天才なんだ。
スランプになるような人とは他の人からのなんらかの感情を感じることで自分自身スランプ状態になるんだね。そんな時には考えてみるんだよ。直ぐに分かる事だから答えは自ずと分かるだろう。スランプは喜ぶべきことだと。必要とされているから相手から何かと意見や対立が生じるんだ。要するに必要とされている人間なんだね。人より自分を立派に見せたいとか自分が正しいとかあまり考えずに見栄をはらず自分の力を自覚することが大切だと思うんだ。しょせん人間なんて野生動物に過ぎず、教育することで野生を失い人間になれたんだから楽に生きるよう生き方を替えるんだよ。飛躍する事が出来るのは人間だけだから。
荒れ果てた荒野を行く用心棒が、二股に別れた所でどちらえ行こうかと思案する場面がある。・・土埃のたつ石ころだらけの下を見ると一本の棒きれがころがっていた。用心棒がその棒きれを取り澄んだ空へ投げ上げる・・棒きれは一方の荒れた道に落ち・・用心棒は決心してその道をいくんだ。・・そこで待っていたのは血で血を洗うほどの殺戮と人の持つ悪の煩悩の渦巻く中へと向かう用心棒。・・人とはそう生きるべきだと思った。何が待っていようが・・未来はそこにあるんだから。・・ハリウッドの超一流監督でもあるアクターのクリント・イーストウッドはこの黒澤監督の・・用心棒なくしては存在しえなかった。常に黒澤監督を師と仰ぎながら一歩でも亡き黒澤へのオマージュとして今もなお芸術家として生きる姿は師への憧れからだろう。