昨夜、不思議な夢を見たんです。
あっ、「死」と関係するから
違和感のある人はスルーしてくださいね^_^
誰だかよくわからないんだけど、
死んだ体験をした人が夢に出てきました。
知り合いなのか、そうじゃないのかもわからない。
「いいなー、いいなー」
やたらと僕に言うんです。欲しがるような仕草で。
「なにがそんなにいいんですか?」
「人間で生きられることですよ」
「え? あなたも人間やないですか?」
と言った瞬間、「あっ?」って。
この人、もう死んでるんだ、
と思ったの。
なんでか理由はわからないけれど、
もう生きている「氣」というのかな。
色気というか、ないんですね。
「いいなー、いいなー、いいなー」
まだ連発するから、
「僕にあって、あなたにないもの、なんですか?」
間髪入れずに返ってきたのが、
「体験です、体験!」と。
「味わえることです。
結果はどうでもいいんです。
体験できることですよ。
それがどれだけ尊いか。
一見、どんだけ苦しくて、
しんどくて、
つらくて、
悲しいことでも、
“体験できる”尊さにおいては貴重すぎる。
お金は残せなくとも、
“体験”はずっと残る。
良いも悪いもなくなりまして、
等しく“体験”なんです。
それが羨ましくて」
みたいな話でした。
(起きたらだんだん記憶が薄れてきて)
目覚めて一瞬、変な夢みたなぁ、
だったけれど、
なんだか妙に納得した内容だったから
備忘録的に書かせていただきました。
☆
来年の1月末で、
連れ合いだった人があの世に還って
丸20年が経ちます。
あっという間でした。
楽しいことも、しんどいことも
てんこ盛り、あり過ぎる20年でしたが、
(つらいことのほうがちょっと🤏
多かったかな 笑)
「生きたくても生きられなかった人」
として、
ずっと彼女のことは忘れた日はなかったので、
昨夜の夢も、理屈抜きで理解できたんだと思う。
「体験できることがすべて」
「楽しみですか?」
なんて聞かれなくても、
ぜんぶ、ぜんぶ、ここにいて、
理不尽だらけの世界だからこそ
そこをどうやって楽しくするのか?
人から問われることじゃ、
ないんだよね。
楽しくしてくの。
楽しさに変えるゲーム。
自分で自分を楽しませるんです。
誰かに楽しませてもらうんじゃありません。
「いいなー、いいなー」が、
まだ耳に残っています^_^
遊び感覚、大事だよね。
遊ぶように生きる感覚。
“体験”という楽しさを味わう世界。
今日も、明日も、明後日も、
どんなことが起きるんだろう?
というワクワク感。
あらためて思った朝でした。
地球は、行動の星と言われていますが。
わたしたちは、
体験したくて、
この地球に生まれてきたとしら…
何を体験したくて?
それは、
体験してみたことによって得られる
色んな感情なのですね。
全ての感情を味わい尽くす体験。
認知症になって、
ほんの少し前の事を忘れてしまっても、
そのときに感じた感情は心に長く残っています。
悲しい、
さびしい、
嫌だ、
うれしい、
楽しいといった感情は、
いつも感じています。
感情の記憶は心に残りやすいものです。
いつもできていたことが、
できなくなった辛さや不安。
覚えのないことで叱られた嫌な気持ち、
自分らしさを発揮できたうれしさ。
認知症になることを選んだ人も、
この地球で、
体験してみたかった事の
一つなのかも知れません。