Perfumeの解散危機回避の全貌が遂に明らかになった | Perfumeとグルメの日記

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Perfumeと食べ歩き(主にラーメン)が好きです。
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今回のドームツアーのグッズに、「LIVE DATA BOOK」というものがあります。

過去のライブの全セットリストが載っていて、Perfumeのライブに欠かせないスタッフの方々のインタビューも収録されていて、中身が充実していますから、ボクは真っ先に買いました。

皆さんはお求めになったでしょうか?

 

 

 

そして、ここに、Perfumeの名物マネージャー、もっさん(山本史郎氏)のインタビューも掲載されています。

もっさんはもう10年以上マネージャーを務めているんですが、ボクは彼に明かして欲しかったことがあったんです。

 

 

 

それは、過去のこのブログでも書いた、2006年の「Complete Best」リリース前後の、Perfume解散回避にまつわるエピソードです。

もっさんが、Perfume解散回避に向けて尽力していたことは、昔からのファンの方なら周知の事実で、あ~ちゃんも事あるごとに、ライブのMCでそれを話していたのですが、彼が何をしたのかが謎でした。

 

 

 

もう1人の尽力者の、徳間JAPANのPerfume担当者の長谷川さんの動きについては、2016年2月8日のイベントで、掟ポルシェさんが明かした当時のエピソードを2月10日の記事に書きました。

(なお、この10日の記事には、かしゆかの最初のペットのハムスターのチョロの最期についても触れているので、こちらの記事をお読み下さい)

コンベスにまつわるPerfume解散話と、チョロとフーくんの最期について

 

 

 

Perfume解散回避の内容の長谷川さん側のエピソードは、

 

 

掟さんが、2006年のある日、渋谷駅近くのホテルに呼び出され、当時のPerfume担当のマネージャーから、「Perfumeが解散するかも」と告白された。
この話を受け、長谷川さんが、「もうコンベスのリリースが決まってますから、1万枚プレスのうち、7000枚売れたら次も検討しましょう」と提案して、解散引き止め的な発言。
結果、ノルマを果たし、解散回避。

 

 

 

というものでした。

掟さんをホテルに呼び出したのは、もっさんかどうかは分かりませんが、Perfumeのマネージャーたちには、社内のPerfumeを取り巻く環境が相当深刻であることを認識していたことになります。

コンベスは確かに、リリース週のチャートはTOP50以内に入り、そこそこ好調な売り上げだったのですが、徳間JAPAN側はそれでクリアしたとして、アミューズがPerfumeの存続を決定したのはなぜなのか?

もっさん側の話をぜひ聞きたかったのですが、遂にそれが明らかになりました。

「LIVE DATA BOOK」の16ページに、その時のエピソードが書かれてあります。

彼の言葉を抜粋しますと、

 

 

 

もっさん:「当時、ベスト盤が出ると事実上の契約終了になる前例をいろいろ見ていたので、実は、メンバーも僕も、『終わりが近づいているんじゃないか』と思ってました。」

 

 

 

 

BEE-HIVEをPerfumeとともに結成していた、アミューズ所属のPerfumeのお姉さん格のアイドルグループが、2006年前後、軒並みベストアルバムをリリースした後、相次いで解散を続けていましたから、当時のPerfumeファンもビンビンに危機感を募らせていました。

 

 

 

最近のPerfumeは、2006年のベスト盤リリースの頃を振り返って、「いったんこれまでの楽曲を纏めて、次のステップに・・・」なんて明るい前向きな話もしているのですが、2013年の雑誌のインタビューの中では、解散の危機をひしひしと感じていた、当時の心境を切実に語っておりました。

あ~ちゃんのコメントです。

(2013年1月16日のブログ、「遂にコンベス時の解散フラグをカミングアウト」より。

この記事の全文が読みたい方はこちらのリンクからお読み下さい

 

 

 

あ~:「ベスト盤を出した時にも解散するんじゃないか?って言われたし、自分たちでもその思いはよく理解できたし不安に思っていた。
『エレクトロワールド』のジャケ写を撮るついでにベスト盤の撮影も済ませてしまった時に、お金がないって事も理解出来るけど、どうもこれで『終わり』だと自分たちで思ったし、英語に詳しくはないけど、『Complete~』のタイトルが指す意味くらいは分かってたし」

 

 

 

もっさんの話と併せて、チームPerfume全体で、2006年夏前後、相当な危機感を持っていたはあったのは間違いないみたいです。

では、それを打開するためにどうしたのか?

 

 

 

もっさん:「メンバーはそれ(解散)を望んでないし、僕もそうしたくない。

だからすぐ、レコード会社に働きかけて、水面下で、『チョコレイトディスコ』のレコーディングを作り始めていたんですよ」

 

 

 

これで、上に書いた掟さんが話した当時のエピソードと、もっさんの話が繋がりましたね。

彼らの話を繋ぎ合わせると、もっさんが長谷川さんと話を詰めて、恐らく、アミューズと徳間JAPANの経営陣の意思決定を待たずに、「チョコレイトディスコ」のレコーディングだけを済ませたというのが妥当なところのようです。

 

 

 

そうしてみると、リリース出来るか確定していなかった段階で曲を制作した、中田ヤスタカの漢っぷりも素晴らしいですね。

当時の中田ヤスタカのエピソードも聞いてみたいです。

 

 

 

そして、コンベスの発売日、2006年8月2日以降のリリースイベントに、Perfume解散危機回避の答えがあったのです。

 

 

 

もっさん:「コンベス発売の握手会を秋葉原でやったのは、まさにそんなタイミングでした。

そしたら会場がパンパンになるくらいお客さんが来てくれて、その場でCDがたくさん売れたんですね。

初めてPerfumeを見に来た、アミューズの『上の人』が、その様子を目の当たりにして、『こういうのをやっていけば今後もなんとかなるんじゃない』と言ってくれて、それで生き延びられたんです」

 

 

 

Perfumeのリリースイベントは、リリース直後から渋谷と新宿なんかでやっておりましたが、それまでのシングルでのリリースイベントとは群を抜いて、Perfumeを驚くくらいに相当な客入りだったようです。

秋葉原でのイベントは、これよりもっと後。

もっさんが、どうやってアミューズの経営陣を呼び寄せたのか分かりませんが、先に行われていたイベントの客入りに自信を持ったからこそ、彼らを招いたのでしょう。

当時の、秋葉原での「コンベス」のリリースイベントです。

これの、どこを経営陣に見せたのでしょうね。

 

 

 

【「Perfume ~ Complete Best ~」リリース・イベント】
 
2006年8月27日(日)
秋葉原ラオックス・アソビット 12:00~

石丸電気ソフト2 秋葉原 17:00~

 

2006年9月3日(日)
ヤマギワソフト館 秋葉原 11:00~
タワーレコード秋葉原 16:00~
 
2006年9月10日(日)
石丸電気ソフト1 秋葉原 18:00~
 
 
 
このイベントに参加した方は、今もPerfumeファンなんですかね。
一人でCD10枚以上買って、Perfumeを売り込むために友達に配りまくったなんて方もいたようです。
そういう方々の献身さで、今日のPerfumeは存在しているのです。
この記事では、もっさんの事ばかり書きましたが、彼の発言を聞くに、結局、アミューズの経営陣の心を動かして、Perfumeの活動存続を決定したのは、ひとえに、この日、会場を埋め尽くしてCDを買い漁った、当時のPerfumeオタの皆さんなんです。
 
 
 
知れば知るほど、あの時のPerfumeオタに感謝です。