吉田豪、無名時代のPerfumeに「 路線を変えるな」と喝。 | Perfumeとグルメの日記

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3月29日のYBS(山梨放送)の「909Music Hourz」という番組に吉田豪さんがゲスト出演。
番組パーソナリティの絵恋ちゃん、加藤響子さんと、2000年代女性アイドルソングについてトーク。
モーニング娘。などをはじめとしたグループアイドルが勃興した時代について話していましたが、その中に当時まだ無名だった頃のPerfumeの話題にも触れていたのですが、その部分を書き起こしたサイトがあったので御紹介します。
(3月29日なら、まだradikoのタイムフリーで聴けるかも)



加藤響子:2007年にはまた新しいタイプのグループアイドルが大ブレイクしますね。
Perfumeです。  
『ポリリズム」、2007年発売の曲です。
豪さん、Perfumeさんもブレイク前から応援されていたと聞いてますが。



吉田豪:もちろんですよ。大好きで。
Perfumeって2007年に大ブレイクするまで、実は期間が結構ありまして。
もともとはパッパラー河合プロデュースの広島のローカルアイドルだったんですよね。
それで2枚出して上京してきて、上京した後も実は長いんですよ。
アミューズのBEE-HIVEっていうプロジェクトがあったんですよ。 
これはBOYSTYLEっていうコレクターズの曲でシングルデビューしたグループ。
あとBuzyとか、そういう人たちと女子寮で共同生活を送って、 その模様を24時間ネット中継されるっていうものすごいハードな仕事をしていたんですよ。




吉田豪:その頃、僕がインタビューした時にいちばん印象的で、僕がよく言いふらしているエピソードがありまして。


中田ヤスタカプロデュースになって、全然売れない時期が長かったから、「正直違うジャンルをやりたい。バラードとか歌いたい」って言っていたんですよ。
それを僕が止めたんです。  
「違います!   こっちにいけば、絶対にいいことがありますよ。中田ヤスタカで行ってください!」っていう。


加藤響子:えー!?  じゃあもう豪さんがいまのPerfumeの道に導いたみたいな?

吉田豪:導いたかどうかはわからないですけど、本人たちは相当迷っていたっていう。

加藤響子:ヘー!    でもPerfumeさんで調べると、  いまの感じと全然違うテイストで。


吉田豪:そうですよ。最初はどアイドルです。で、 中田ヤスタカ初期もピコピコしたすごいかわいいテクノポップ期で、僕がいちばん好きなのもその時代なんですよ。



まあ、吉田豪さん側からのベクトルでの発言なので、当時のPerfumeとの会話の、ありのまま全てかどうかについては、割り引いて考えないといけませんが、ここ数年のPerfume本人たちの後日談を聞くに、この当時は、中田ヤスタカとはあまりコミュニケーションがちゃんと取れていなかったようでしたから(レコーディングの時に誰かしらブースの中で泣いていた)、些細なレベルではない不満は持っていたでしょう。


ボーカルに不自然なエフェクトを掛けられて、わざと歌い上げられないようにされてしまう、中田ヤスタカのプロデュースに一番鬱憤が溜まっている時期に、吉田豪さんのインタビューを受けたのでしょうね。



しかし、「バラードが歌いたい」という字面だけで、発言主があ~ちゃんだと想像が付いちゃうんですけど、これって、正解ですよね?(笑)



このインタビューの後半では、吉田豪さんの選ぶアイドルソングがあって、「おいしいレシピ」が選ばれてました。
いわゆる、ギョーカイ人って、2003年から2005年頃のPerfumeが一番好きって、人がやたら多いと思うのは気のせいかしら。