①日本と海外の宗教観の違い。

5月の八十島太鼓の奉納演奏の当日、

八十島太鼓をご覧になられている中に

海外からのお客さまがおられました。

 

英語の話せる私たちの仲間が、その

お客さまの疑問や質問に答えようと

しましたが、そのやり取りを聞いて

思ったのは「神さま感覚」の違いでした。

 

②お賽銭ってなんでしょうか?

お金を入れなければならないものでしょうか?

そんな海外からのお客様に、私たちの仲間は

それを「寄付」と訳したそうです。

外国の方いわく、自分には信仰があるので

他の宗教には寄付はできない。

と言われたそうです。

*もし良い言い方がありましら教えてください。

 

③感謝の気持ちで入れているお賽銭。

お賽銭はお詣りさせていただいている感謝の

気持ちで入れていると、私は思っています。

そこに宗教や宗派を考えることはありません。

お正月なら、今年が良い歳でありますように・・

とか、それぞれが願いが届くようにお賽銭を入れて

いると思います。(願掛けと言います。)

 

地元の神社にお金(賽銭)を入れて、

また違う神社に行ってお賽銭をいれる事で

神を裏切ると思う人もいません。

 

*その日の海外からのお客さまは、宗教の違い

を理由にお賽銭を拒否されたそうです。

 

こんな事があり、日本を理解していただく。

八十島太鼓をより理解していただくために

「八十島的太鼓の世界」を書くことに

しました。

 

④八十島的・神さま論。

日本にはモノ言わずとも伝え、

わかり合う、分かり合える文化があります。

 

「推して知るべし」・・というようなことを

私たち日本人は知っています。

神とのつながりも、この感覚でなんとなく

当たり前のように、わかり合っています。

 

「日本の神とは?」

私たち日本人は「人の(考え)及ばない力」を

神としてきた・・と神社の方から教えてもらった

ことがあります。

 

つまり、人智の及ばないもの、

たとえば自然や地球、宇宙は

人の考えなど及ばない力が働いている・・

だから山(自然)を神とし、大木をご神木と

してきた。神の力とし言えないような・・

大いなる力を、私たちは神としてきたのです。

 

たとえば私たちの体の中にも・・人間ワザとは

思えない能力が宿っている。

子どもを出産したり・・

身体にも魂にも。すべてに

神が宿っていると考えています。

赤ちゃんは神の子とされます。

 

また、人間離れしたような能力や

深い思いを持った人も神とされることがあります。

学問の神・菅原道真、

闘いの神・誉田訳命(ホンダワケノミコト)

=応神天皇(八幡神社)など。

 

神っている。(神が宿っている)と

言う言葉がありますが・・

若者たちが驚異的な技術や感動的なモノを

見た時に「神」とするのも

日本の神を顕わしています。

 

体操・ダンス・音楽・スポーツなど、

鍛錬して得た素晴らしい知識や技術能力、

など、秀でた能力を「神」とするのも

日本の神感覚です。

 

⑤神の力をいただく。

お賽銭を入れて、2礼2拍手1礼

をする時、私たちが思うのは

「願いと感謝の思い」ではないでしょうか?

個人的にで言いますと、

自分に与えられた力を出し切ることができますように、

お役に立てますようにという思いです。

私たちの思いは、ふさわしいものであれば

神に通じているし、すでに神に届いています。

 

お賽銭や寄付が多ければ見返りが多い、

なければ願いが届かないというような

ことではありません。

 

人種・性別、肌の色によって違うことは

まったくありません。

太陽の光は誰の上にも降り注いでいる。

誰もが「神」宇宙の一部であるのは

明らです。

しかし、神に相応しくない思いでは

神にはつながれない。だから謙虚に

なる。

そして、それぞれにふさわしい思いや

行動が現実化していきます。

 

⑤神社と八十島太鼓。

神社が太鼓チームにお金を出していると

思われる方もいるでしょうが違います。

太鼓に関する私たちの「労力」は全て

ご奉仕です。

ボランティアとも違います。

神の力をあらわすお手伝い。

それが太鼓である、という認識です。

 

太鼓や衣装や神事に関わる道具や

練習場所は神社からお借りしています。

私たち氏子・社中(志を同じくする人)と

呼ばれる太鼓の有志は神社の要請に

協力していますが、自主運営し

出演機会を求めています。

神社と太鼓(チーム=社中)は持ちつ
持たれつの助け合っている関係です。

 

太鼓メンバー(社中)はお金を目的とせずに

常に全力で八十島太鼓を完成させようと

しています。

各人が与えられた能力を皆が精一杯発揮した

結果、それが八十島太鼓です。

 

⑥宮司さんの言葉は神の言葉?

こんな感覚があります。

2010年、生國魂神社の宮司さん(神社の代表者)

から「八十島太鼓」を作曲して欲しい

と言われたことで、2~3年で曲の骨子をつくり、

その後、神社は太鼓の寄進を募り、

私はメンバーを集め、2016年太鼓を

発注し練習開始しました。

この時、神社に言われて私が何かをやらねば

ならないということは何もありませんでした。

 

しかし宮司さんの言葉は神の言葉として

私には感じられました。

宮司さんが神の言葉(意思・思い)を感じて

動いておられる事を私が感じているから

です。

そうでない宮司さんもおられるかもしれませんが

私の知る生國魂神社の宮司さんはただならぬ
使命を持って(神の声を聞いて)この
生國魂神社を復興させて来られた方で
あることは間違いないのです。

そんな宮司の言葉はまさに神の言葉です

から全力でやるしかありません。

 

⑦八十島太鼓とはどんな太鼓なのか?

日本中の太鼓を聴き、神事の太鼓とは

どんな太鼓か? 宮司さんと話し共有
できたのは初代・創成期の鬼太鼓座
(おんでこざ)と能登の御陣剰太鼓です。

インスパイアされたというのが

正しい言い方ですね。

 

日本の太鼓らしい太鼓は直線的で真っすぐで
緊迫感ある太鼓でした。

その感覚に、私たち「はねたリズム曲」を
最後に1曲加えて今の原型ができました。

跳ねたリズムとは、

(シャッフル・ブギウギと言われるような

スィングしたリズムです。日本では沖縄の

カチャーシー、阿波踊りのような・・)

そうして八十島太鼓・組曲(4曲)が完成しました。

 

⓼神はモノ言わずして、すべてを伝えている。

 

神は姿カタチのある人物ではなく、この宇宙にある思い、

私たちのこの体や心に中にある思いであり、力だと感じています。

人はカタチがないとお詣りもできないのです。

目に見えないものは「ない」という理解ですから。

 

そんな人間の理解には限界があります。

生きている人間の思い(自我・エゴ)では

社会は良くならないようです。

戦争や取り合いで滅びに向かっているのが

世界の現状ではないでしょうか?

 

八十島太鼓が、日本の伝統を引き継いでいると

したら、その一番は、言葉ではなく、神を顕わし、

人を励まし、集まった人の心を一つにする

ということ。その役割を果たそうとしていることです。

 

⑨神への恐れ多い気持ち。

生國魂神社は誕生の時から、天皇がお祭りした日本の

國・国土を祀った神社でした。

平安時代の頃は天皇即位翌年に行われた八十島祭を

執り行った神社。宮中に深くご縁があった神社です。

 

今なおその伝統は宮中祭祀の中に残っている。

そんな歴史を知ると、それにふさわしい神社や
太鼓でありたい、あらねばならないと私たちは
考えるのです。

 

神社のご神職の方々は本殿での

神事以外は服を着替え、泥だらけ

になって神社の木々や花々を育て

手入れされています。

神社に関わる方々皆さんが

感謝の気持ちでご奉仕されている
と思います。

 

⑩神を表現するための八十島太鼓。

私たちの中には神の力が働いている。

これは明らかです。

私たちは太鼓を通して神を感じる体験

(至高体験)をしているのです。

この感動は素晴らしいものです。

 

「お金で得られないものがあります。

   努力して得た能力は失われません。

   みんなで本番を終えて得る喜び、
   心が震えるような充実や感動は
 お金では買えるものではありません。」

 

長い時間をかけて練習をし、

完成させ、一糸乱れぬ音が出せた時、

私たち自身も神を感じる・・

感謝の気持ちであふれる。

そのようになると思っています。

 

 

この日の雲一つない晴天。

4年前は薄曇り。やっと全曲を演奏し

スタートできたような気がしています。

 

(象慧)