宝暦3年(1753年)3月に
江戸・中村座で初演された長唄舞踊「京鹿子娘道成寺」は、安珍・清姫の伝説や、後日譚である能「道成寺」の物語を取り入れて数多く作られ上演されていた〔道成寺もの〕の集大成であり、かつ決定版とも評される人気曲です。

道成寺の鐘供養の日に現れた白拍子花子、実ハ蛇体が華やかに様々躍り分ける姿が、歌舞伎舞踊の粋を思わせて何と言っても見所。

道成寺の所化(見習い坊主)たちが傘を持って華やかに踊る場面も浮き浮きたと楽しいものです。

この長唄曲を、歌詞を生かして清元に移し替えたのが「豊後道成寺」です。

清元は豊後節を母体とするので、この名前がついています。

昭和55年5月、第一回《芸游会》で初演されました。

ちなみに芸游会は、当時第一人者だった清元太夫の清元志寿太夫と長唄三味線の三世今藤長十郎という豪華な顔合わせによって生まれた会でした。
今なお語り草です。

「豊後道成寺」が舞踊化されたのは昭和57年でした。

曲に惚れ込んだ歌舞伎俳優中村雀右衛門が初演したのです。

以後人気曲となり、多くの舞踊家によって新たな振り付けがなされています。


-プログラム解説より引用-