きよみずです。
前回、「わたし」は「和多志」
という話を書きました。
「和多志」とは
あちこちに向いている
多様な意志を一つにまとめる
という意味があって
調和のとれた社会のために
何が「皆にとって最適な選択」なのか?
という高い視点から
「皆で協力していく意識」の重要性
をあらわす言葉。
「社会の中で生きる個人の在り方」
として、理想的な姿をあらわす言葉
だと感じます。
ただ、それだけでなく
これは同時に
自分の「内側」の世界を
「融合」・「統合」するための
重要な指針でもある
と感じるのです。
以前、このブログでも
「チーム自分」という話を
書いたことがあるのですが
「チーム自分」とは
自分の内側から出てくる
様々な「主張」を
様々な「個性を持った人物」
と捉え
その個性を
あるがまま認めたうえで
司令塔である自分自身が
その時々の自分にとって
何が最適か?という視点から
バラバラな「主張」を
一つにまとめ上げる
というもの。
まさに「和多志」の世界!
ですよね?
みんなが自分の内側で
「和多志」という
自己統合を実現すれば
自分の外側でも
「和多志」という
調和の取れた世界を
実現できるはず!!
「願望実現」が
多くの人にとって
最大の喜びだと思いますが
自分が真に
「望んでいること」を知らなければ
叶えることはできません。
ところで
スピリチュアルや
自己啓発の世界では
「嫌なことや違和感のあることをやめて
本当にやりたいことだけやろう!」と
いわれることがあります。
でも、自分一人だけで
生きているわけではないので
実際には、なかなか難しいですよね。
だから
この言葉に囚われすぎてしまうと
「思い通りにならない」ことを
誰かのせいにしてしまったり
やっぱり無理なんだ…と
自分を責めることにもなりかねない。
これでは
かえって苦しくなってしまいます。
前々回
純粋なるバイブレーションを生きる
と書きましたが
「純粋さ」というのは
自分に嘘をつかない!ごまかさない!
ということ。
わたしたちは
様々な「矛盾」を抱えた存在。
好き・嫌い
やりたい・やりたくないは
表裏一体だったりします。
だから、まずはその
矛盾した自分の性質・感情を
あるがまま認めること。
そして、一番重要なことは
たとえ、不本意であったとしても
いま、自分の置かれている現状を
「自分が選択している」
という事実を認めること。
なぜなら、それが
自分の人生の
「選択権」と「責任」を
自分の手に取り戻すことに
なるからです。
人生の主導権を
自分が握っていなければ
人生を思い通りに
動かすことはできません。
。。。。。
「感情」や「違和感」は
自分を知るための道しるべ。
つい、我慢して抑え込んだり
見て見ぬふりをしがちですが
そのすべてが
「自分が大切にしたいこと」
(自分の核となる部分)
を教えてくれる
重要な「カギ」であり
「ギフト」です。
苦しい「感情」や「違和感」は
どこからきているのか?
自分が、どんな常識・考え方を
前提にして、生きているのか?
「承認欲求」や
「不安」や「恐れ」、「不足感」から
選択してしまっていないか?
そういった、自分の
今のあるがままの現状に
「氣づくこと」が出発点!
氣づくことができれば
これまでのパターンを
そのまま「維持する」のか?
「変える」のか?
自分で
「選択し直すこと」が
できます。
そして、自分にとって
「必要のない焦り」から
自分を解放することも
できるのです。
・・・究極的には
自分の感覚だけに
注意をはらっていればいい。
わたしたちが、つい
やってしまいがちな
他人の顔色をうかがう…
その労力を、少しずつ
自分のために使ってみる。
現実を大きく変えることが
できないとしても
いま、できる範囲でいいから
自分のために
心地よいことをやってみる。
そんなふうに
常に自分に意識を向け
些細なことでも
自分の願いを叶えていくと
だんだん
自分を信頼できるようになり
どんどん
自分を好きになる!
そのことを
わたしはこの数か月で
確信しています。
。。。。。
ただ「本物のわたし」であれ!
自分の「感覚」を研ぎ澄まし
嘘偽りのない
自分という「玉」を磨き上げる…
そんな意識を
持ち続けることで…
あらゆる豊かさが
後からついてくる!
自分にとって
最適なものが
最適なタイミングで
やってくる!
そう、信じられるように
なってきました。
わたしたちは
唯一無二の存在。
無理をしなくていいのです。
自分のペースで
「和多志」を育み
自分の「玉」を磨き上げること。
それが
最大の喜びであり
最大の社会貢献でもある。
世間一般で言われることを
参考にしてもいいですが
最終的には
「和多志」がどう感じるか?
その感覚を
わたし自身が最大限尊重する!
ということが、一番重要
なのではないでしょうか。