きよみずです。
わたしとは
「和多志」であることを
ご存じですか?
戦後、「言靈」という言葉が
放送禁止用語になったり
八方に広がる「氣」の流れを
〆(しめ)る「気」という漢字を
使うようになったことは
比較的有名な話ですが
それと同じように
戦後、「わたし」も
「私」に統一されたそうです。
「和」という漢字は
「禾」→ 上下左右斜め全方向にバラバラに向かっているものを
「口」→ 一つにまとめ包み込む
という意味があり
「和多志」とは
多方面に散らばった多くの志を
最適な形で、ひとつにまとめる
という意味。
他者を思いやる心や
一致団結して事に向かう姿勢など
日本人が本来持っている性質が
良くあらわれている言葉だと感じます。
一方、「私」という漢字は
「禾」→ 穂先が先端に垂れかかる稲の象徴
「ム」→ 小さく取り囲むこと
という意味があり
実りを自分一人のものとして囲い込む
といったニュアンスがある、とか…。
このように、同じ「わたし」でも
「和多志」と「私」では
人の「在り方」が180度違ってきます。
「自分さえよければいい」といった
個人主義的な風潮が強くなって
久しいですが
「私」という漢字があらわす性質が
実際に現実化しているとしたら…?
言葉や文字に
それだけの影響力があるとしたら
わたしたちは、いま一度
自分たちが使う「言葉や文字」に
注意をはらう必要がありますよね。
ちなみに
「霊」という字も、本来は「靈」。
巫女が口を開いて
雨を受け取っている姿を
象徴するもので
宇宙や大自然といった
高次のメッセージ・叡智を
意味します。
そして
この天のメッセージを敬い祭る
「まつりごと(政)」によって
宇宙や大自然と調和した文明が
築かれてきました。
これも
自然を敬い、全ての存在の中に
「神」を見出し、調和して生きる
日本人らしい姿だと
いえるのではないでしょうか。
ところが
「靈」を「霊」にすることによって
幽霊といった低次のイメージが入り込み
おどろおどろしくなってしまった。
スピリチュアルが怪しい!
といわれるのも、その中に
高次のものと低次のものとが
ごちゃまぜになってしまっているから
なのかもしれません。
。。。。
日本人が悪い!と
事実を捻じ曲げて教える
自虐史観もそうですが
使う漢字を
変えることによっても
わたしたち日本人は
己の根幹となる大切なものを
隠されてきました。
情報操作は
北朝鮮や中国の問題ではなく
ここ日本でも同じ。
わたしたちの目を
大切なものから背けさせる情報が
日々流され続けています。
それでも
日本は「和」の国であり
「八百万の神」の国である!
そこから生み出された
多くの志、多くの言葉が
隠しても隠し切れないほどの
素晴らしい叡智として
わたしたちの生活に
根付いているから
わたしたちは
すべてを失わずにすんだ
のかもしれません。
今、ある意味
一つの世界の末期といえますが
隠されてきたものに氣づいた人から
「和多志」を生きる!と
改めて選択し直すこと。
そんな
一人一人の意識の変化が
世の中を変える
大きな力になると思います。
日本から世界に向けて
「和」の「輪」を広げていくこと!
日本人として生まれてきた人
日本を深く愛する人には
必ず、その役割があります。
日本語は
宇宙と同じ周波数を持ち
全てを生み出す力をもった
特別なことば。
だからこそ
「言靈」と
その力を無意識に理解して
使っている日本人は
恐れられてきたのです。
グローバル社会!
英語が必須!
もいいですが…
日本人が
「和多志」を取り戻し
母国語として発する
ことばの力を高めていくこと!
そこに価値を見出し
意識する人が増えたら
世界は変わる。
そのことを
いま、強く感じています。
わたしも、まだ
分からないことばかりですが
千里の道も一歩から
以下の記事を参考にさせていただきました。
→和の時代から大和の時代へ ~消えた漢字の秘密~ | 叩き上げの日本料理人が【食医】になるまで (worldchefsbible.com)
→GHQが封印した【靈】という漢字 | 新MUのブログ (ameblo.jp)