クラブ愛と信念
鹿島でプレーして、監督も務めたジョルジーニョ。
「ここまで、カメラの前で言っちゃうんだなぁ」と驚いた話。
だってね。
「スポルチ・ヘシーフェの監督は、絶対に出来ない」って、宣言しちゃうんだから。
なぜかって。
ものすごく沢山のスポンサーがついて、豊富な資金で運営されるCBFブラジルサッカー連盟。
そんな今からは信じられないけど、1987年は、経営難・資金不足のために、従来の形でブラジル全国選手権が開催できない、という事態になったんですね。
で、代替案も検討されたんだけど、国内の強豪13チームが、それに反対。
それで、自分ら13チームに、あと3チームを加えた、合計16チームが、独自の組織で、従来のブラジル全国選手権に匹敵するリーグを主催し、戦ったんです。
でも、そこに入れなかったクラブは、その年、戦うリーグがなくなっちゃいますよね。
だから、CBFブラジルサッカー連盟は、その16チーム以外の16チームで、リーグを主催したわけです。
レベルから言えば、独自の組織が1部、CBFのリーグは2部、という状況になって。
で、1年間のシーズンを終えたら、2つのリーグに、それぞれの優勝チームがいる、と。
CBFは「じゃあ、2つのチャンピオンが対決して、真のチャンピオンを決めたら?」と、チャンピオンシップを提案。
でも、実質1部と2部ぐらい、レベルの違うリーグだったわけで、独自の組織の優勝フラメンゴは「ウチがチャンピオンだ!」と言って、そのチャンピオンシップを拒否。
CBFのリーグの優勝スポルチは「ウチはCBFのリーグで優勝したんだから、それなら、ウチがチャンピオンだよ。」と。
で、両者譲らず、ずーっともめ続けているわけです。
でも、その翌年からはまた、ちゃんとCBFが普通のブラジル全国選手権を開催できるようになったし、CBFは「じゃあ、両方とも優勝ってことで ♪」と決めました。
FIFA国際サッカー連盟も「了解!」と、正式に記録。
が、スポルチが「違うでしょ、ウチが唯一の優勝でしょ」と、裁判に訴える。
ブラジルのスポーツ裁判は「スポルチが唯一の優勝!」と採決。
そこには、政治力も働いたのなんのと、きな臭い噂も。
そんな中、去年、ジョルジーニョに、スポルチの監督招聘の話があったんですね。
もう、お金の話や、期間の話も決まって、ほぼ、成立しかかっていたそうな。
が、最後の最後にジョルジーニョが契約書にサインしなかったのは、スポルチが、あろうことかジョルジーニョに、
「87年の優勝は、スポルチだって、言ってね」
と、頼んだそうなんです。
だって、ジョルジーニョは、87年のフラメンゴ優勝メンバー。
主力中の主力。
だから、彼は
「スポルチは優勝チームじゃない。優勝はフラメンゴだ」
って言って、監督契約、不成立、と。
そういう話を、前にジョルジーニョと雑談してた時に、言ってたんですね。
ところが!
去年の年末、87年フラメンゴ全国優勝の30周年記念イベントが行われました。
サポーターが開催したイベントで、当時、一緒に戦った選手、チームスタッフ、会長、その他、縁の下の力持ち…等々が、一同に会し、旧交を温め、当時の思い出を振り返り、優勝をもう1度、みんなで感じ合おう、というもの。
そして、「優勝チームはフラメンゴだ!」と、アピールするため。
で、そのイベントを取材しながら、ジョルジーニョにマイクを向けると、そのスポルチ監督招聘の話がジョルジーニョから出てきて、カメラの前で「スポルチの監督は、絶対できない」と、さらっと、でも、強い口調できっぱりと。
できないんですよ。
プロだから、自分が求められるクラブで指揮を執ろうと思ったんだけど、「87年の優勝はスポルチだって言って」って、頼まれたから、そうじゃないだろ、と。
頼む方も、頼む方ですよね、それ。
このイベントを、Planeta Kiyomi で紹介しています。
それがこちら
Comemoração : 30 anos de Campeão, Flamengo 87!
懐かしの元Jリーガーが勢揃い!フラメンゴ全国優勝30周年 by 藤原清美
Youtubeでは、こちら
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この87年のフラメンゴには、元Jリーガーもたくさんいて。
例によって、私はフラメンゴのチームソングを歌っています。
適度に勇ましくて、適度に軽やかで、素敵な歌ですよ。
みんな、笑ったり、感激したり。
最後は、大合唱になって。
なかなか、この尺(4分)では伝えにくい部分があるんですが、ブラジルサッカー、相変わらず奥が深いなと、あらためて実感した夜でした。
長文になりました(汗)
是非、ご覧下さいませ ♪