シャペコエンセと共に生きる人々 | 藤原清美オフィシャルブログ「OTIMO TV」 Powered by アメブロ

シャペコエンセと共に生きる人々

8月15日、スルガ銀行チャンピオンシップで、シャペコエンセが浦和レッズと対戦しました。

浦和のサポーターは、とっても素敵でしたよね。

ブラジルでも、試合結果を伝えるニュースで、紹介されていました。

ブラジル人としての感謝と共に。

日本の人達の温かさへの感動と共に。

 

この試合に先駆けて、私の方は、シャペコエンセのホームタウン、シャペコに行って、取材してました。

 

テレビのための取材だったので、Planeta Kiyomiでは、その映像は使わず、でも、シャペコエンセの選手やクラブの人達、街の人達に、何らかの形で、私なりに感謝を伝えたいな、ということで、作ったのがこれです。

 

Planeta Kiyomi

Uma homenagem, Kiyomi canta Hino da Chapecoense

シャペコエンセ・チームソング by 藤原清美

 

 

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https://www.youtube.com/watch?v=cJfzKHn4Ulw

 

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シャペコに滞在中は、いろんなことがありました。

 

墜落した飛行機に乗っていながら、生還した4人とは、ずいぶん仲良くなりました。

もうね、飛行機、墜落した中にいたんだから、救出されただけでも、すごい奇跡。

それで、お医者さんも「せっかく救出されたけど、これは、助からないかも」と思ったほど重体だった人もいたし、脚を切断するほどの重傷で、サッカーができなくなった人もいます。

さらに、チームメイトや友達が一度にたくさん亡くなった衝撃や、重くて深い、心の痛みがあるわけです。

それでも、4人とも、そういうことを経てきたとは思えないほど、元気で明るくて、そして、やさしい。

 

 

 

 

 

生還者は3人の選手と、ジャーナリストのハファエウ。

話していると、こちらの方は笑ったり、泣いたり。

人生を、生きている。

生きていれば、何があっても、こうしてまた立ち上がれるし、人に幸せを与えることもできる。

 

ハファエウはラジオのアナウンサーなので、彼の番組に呼ばれて出演したり、思いがけず、メディア仲間にもなりました。

 

 

クラブは今、再建に取り組んでいます。

 

亡くなったのは、選手19人、首脳陣から技術委員会スタッフ、職員さんも含めた、クラブの人が23人、それに、招待客2人、メディア関係者20人、ボリヴィア機の乗務員7人。

 

サッカーって、例えば主力が2,3人、移籍で去っても、チーム再構築は大変ですよね。

監督が解任されても、チームは大きく変わる。

 

シャペコエンセの場合は、実質ゼロからの再出発です。

しかも、世界中が悲劇を知っていて、共に泣いて、祈ってくれただけに、世界中が再建の成功を応援している。

そのプレッシャーたるや。

 

そして、シャペコに行って思ったのは、市民やサポーターとクラブの、本当に、本当に密接なこと。

 

小さな地元クラブの試合じゃない、ブラジル全国選手権1部で、南米の大会も戦うクラブなんだけど、その試合のスタンドに、子供達が本当に多いこと。

赤ちゃんを抱っこしたママさん。幼児を肩車したパパさん。ピクニックにいくみたいな家族連れ。車椅子のおじいちゃんが、孫をヒザに乗っけて観戦してたり。

 

 

 

 

ブラジルのスタジアムですよ。

サポーター同士の乱闘やケンカが怖いからと、サポーターでもスタジアムに行くのを避けたり、行ってもゴール裏のサポーター席は避けるとか、いろいろあるわけです。

それが、シャペコエンセの試合は、スタジアム中、どのエリアにも、ちっちゃい子がいっぱい。

シャペコエンセのユニフォームや何かに身を包んだ、子供だらけです。

 

で、男の人だけでなく、女の人達も、こんな話をしてくれる。

「幼い頃から、毎週、週末はお父さんと一緒にシャペコエンセの試合を見に、スタジアムに来てたの。

シャペコエンセが本当に小さなクラブで、4部だった頃から、3部、2部、1部と成長していくのと一緒に、私も成長してきたの。」

1人や2人じゃない、みんながそういう話をしてくれる。

 

子供の頃は親と、大きくなると友達や恋人と、結婚すると、今度は自分が奥さんや旦那さんと一緒に、子供を連れて、試合に行く。

それが、この街の多くの人達の人生。

 

だから、今、再建のために戦っている選手やスタッフのプレッシャーというのは、もう、本当にすごいわけです。

 

サポーターはもちろん、再建するために戦っている、今の選手やスタッフを、心から応援している。感謝もしている。

だけど、どうしても、亡くなったあのチームを、忘れられずにいる。

 

情熱的に、もしくは温かく応援していても、そして、シャペコエンセは、ずっと変わらず、「僕の人生」「僕の情熱」と思っているんだけど、例えば目の前のチームが失点すれば、

「僕らのGKだったら、セーブできただろうに」

シュートのチャンスに得点できなかったら、

「僕らのストライカーだったら、絶対決めてくれたはず」

と、どうしても、あのチームのことを思わずにいられない、という人も。

 

だって、あのチームはクラブ史で初めて、南米の大会コパ・スウアメリカーナで決勝まで進出し、市民に夢と熱狂を与えてくれたんだから。

あのチームは2年間、メンバーをほぼ同じベースで戦っていたし、もっと長年所属している選手達もいたから、市民とも街で会えば、気軽に会話をし、サポーターの小さな集まりに、ひょっこり顔出してくれたり、市民と共に生きていたんだから。

 

今のチームの選手達は、分かっています。その思い。

だから、今、再建のために集まった自分達がやれることは、サッカー。

ピッチの中で結果を出すこと。

ゴールを決めて、勝利をあげて、市民と一緒に、歓喜を積み重ねていくこと、それだけだ、と。

 

そんな思いに触れて、苦しくもなり、エネルギーもいっぱいもらった、シャペコ取材でした。

その感謝を込めて作ったビデオ、ご覧下さいませ。