フェリポンの一言 | 藤原清美オフィシャルブログ「OTIMO TV」 Powered by アメブロ

フェリポンの一言

2002年ワールドカップで、ブラジル代表監督として優勝を果たしたルイス・フェリッピ・スコラーリ監督。
通称フェリポンのインタビューのために、この2月、今、監督を務めているパウメイラスに行った時のこと。

フェリポン、普段の記者会見なんかも面白くて、サンパウロの報道陣は、フェリポンがちょっと違った発言をするのを、心待ちにしてるんです。
でも、報道陣は何かっていうと、フェリポンの揚げ足をとったり、過剰に批判したりするので、フェリポンはちょっとウンザリしてるフシもある。
だからここんところ、監督として、記者会見はきちんとやるけど、単独インタビューみたいなのには、まったく応えてないんです。

だから、私らがインタビューをお願いした時は、約束の場所はパウメイラスの練習場なんだけど、他のマスコミから「あの人達にだけ応対してる!」と文句を言われないように、マスコミへの練習非公開の日に、インタビューの約束となりました。

そんなわけで、チームの人しかいない、穏やかな雰囲気の中。

今のパウメイラスのスタッフ、フェリポンのチーム、ということで、アシスタントコーチも、GKコーチも、マッサジスタも、2002年の代表の時と同じ人。
だから、懐かしくて。

おまけにこの日は、2002年優勝メンバーの一人で、今はサッカー解説者になったデニウソンも、フェリポンに会いに来てて。
私らを見たみんなは、久しぶりだねー、懐かしいねー、と再会を喜んでくれて、輪になって思い出話に花が咲き、すっかり同窓会ムードになりました!

2002年ワールドカップ南米予選のブラジルって、「ブラジルサッカー史上初めて、ワールドカップ予選を突破できなかったセレソンになりたくない!」と選手達が言うほど、危なかったんです。
しかも、もう後がない2001年6月になって、セレソン監督に就任したのが、フェリポン。
そして、フェリポンはメンバーを整理し、戦術を変え、チームのメンタリティを変えて、ワールドカップ出場を決めたんですね。

実際に出場が決まったのは、南米予選最終節だったんですが、その過程で、「やれやれ、これでもう大丈夫だろう」という雰囲気になれる、勝利を決めた後のこと。
試合後の監督インタビューで、報道陣は

「南米予選はいいけど、ワールドカップ本大会は、フェリポンでは無理だ、もっと経験豊富な監督を、という意見があるのを知っていますか?」
「ブラジルサッカー連盟では、もう本大会に向けた人選が始まっている、という、確実な線からの情報を聞いたんですが、どう思いますか?」

というような、質問をバンバン繰り出していたんです。

ワールドカップに行けないのを恐れていたのに、のど元過ぎれば…とは、このこと。
フェリポンは「誰も火中の栗を拾いたがらなかったのに、ワールドカップに行けるとなったら、やりたい監督が出てくる。それが本当なら、みんな、私と違って、おりこうさんなんだね。」と、憮然としていました。

そうやって、本当は嬉しい勝利会見のはずが、長くて暗い会見になってしまった後。
会見を終え、歩き始めたフェリポン、入り口に立っていた私を見ました。
私が「フェリポン!」と言うと、フェリポンは一言、私に言ってくれたんです。

「行こうな、日本。」

今、思い出しても、なんか、涙が出る瞬間でした。

その後のフェリポンの国際的な活躍は、皆さんもご存じの通りです。
あの一言を、フェリポンが覚えているかは聞かなかったけど、でも、どんなに成功しても、今でも、あの頃のチームの一員のように、私を扱ってくれるフェリポンです…。

これは、インタビューした時の写真。


藤原清美オフィシャルブログ「OTIMO TV」 Powered by アメブロ

雪舟 さんへ
「タクシー呼ぶのに、電話帳がいるのもすごいな。」この雪舟 節に、声を出して笑いました。そういや、そうかも(笑)

毛利 都亜 さんへ
店員さんへの義理もそうだし、タクシーも、それで時間と労力とガソリンを使って、無駄にしちゃうわけですからねー。

まいく・ラガ さんへ
ザンクトガレンは基本ドイツ語。私らも店員さんも、あやしい英語でコミュニケーションでした(笑)