フランクフルトで涙チョリン
以前、私が飛行機に乗る時は、某ブラジルの航空会社がほとんどだったんです。
何年か前までは、セレソンの遠征は、チャーター機も普通の便も、全部そこだったし、個人的には、日本への直行便もあったので、帰国もそこ。
でも、そこが一度倒産して、大変だったんです。
それが、また再生の道を歩んでて、国際便も少しずつルートを増やし…。
ところが!その航空会社のルートが、また縮小する、というニュースがあったんですね。
で、私らは今回の旅ではなく、次のセレソンの親善試合でも、そこを手配していたんです。
だから、それがどうなるのかなー、という心配があって、フランクフルトで、カウンターに聞きに行ったんです。
応対してくれたのは、ブラジル人女性。
最初は、ルートの振り替えなど、事務的な説明をしてくれていたんですが、私らがふと、
「このフランクフルト便がなくなったら、あなたはどうなるんですか?」
と聞くと、彼女は
「フランクフルトの社員は、全員解雇です」
と。
それから彼女は
「私達もね、やれることは全部やったんです。
みんなで力を合わせて、またこの会社を盛り上げるんだ、っていう気持ちでね。
本当に、頑張ったんです。
でも、うまくいきませんでした…」
そのカウンターの女性は、本当に悲しそうで。
もう、その頃には、彼女も、私も、ヴェントゥーラも、涙。
はたから見ると、変な光景だったかもしれないけど、彼女の気持ちがもう。
いや、その航空会社がなくなるわけじゃないので、別に追悼っぽい話をするわけじゃないのですが、よく乗っただけに、仲良くなった人も多くて。
2002年ワールドカップ南米予選のチャーター機では、何人かの客室乗務員さんは、セレソン担当らしく、いつも同乗されてました。
そのうちの1人が、たまたま日系ブラジル人。
彼女は日本のよしみで(?)報道陣で私にだけ、こっそり、選手用のフルーツ盛り合わせなんか、出してくれました(笑)。
もちろん、彼女は選手達とも仲良くなっていたわけです。
で、苦しんだ2002年予選で、ついにワールドカップ出場が決まった、その帰りの機内。
あの頃、選手達の意識には「ワールドカップは日本」というイメージがあったので、みんなで
「オー、オー、オー!僕らは日本行きを決めた!」
と大合唱してたんです。
すると、彼女は機内アナウンスのマイクを握って、日本語で
「アリガトー!アリガトーゴザイマース!」
絶叫!
おしとやかだった彼女の盛り上がりに、笑ってしまいました。
今日の写真は、2002年ワールドカップに向かう飛行機のパイロット。
セレソンをワールドカップに乗せてったパイロット。
自分の経歴が、誇り高いものになると、言われてました。
海賊さんへ
読んで頂いて、ありがとうございます。
その調子で、今後も一つ、よろしくお願いします(笑)
子供の選択肢を広げるかー。
面白そうで、でも、根気の要りそうな、でも、やりがいのありそうな、仕事ですね!!!
毛利 都亜 さんへ
ジュニーニョ、私も応援しているんです。
でも、チャンピオンズリーグでは、どこにもブラジル人がいるので、どこを応援するか、対戦のどっちを応援するか、いつも迷うところなんですー。