サッカー留学事情
サッカー留学される方のコメントを読んで、いろいろ思い出していました。
サッカー留学と一言で言っても、どこでやるか、どんなカタチで行くかで、結構違うんだろうなぁ。
今はやってないかもしれないけど、パラナ州には、日本人のサッカー留学生と、ブラジル人の混合チームを作って、教えているところが、幾つかありました。
だから、そこにはたくさんの日本の少年達がいて、日本について一番恋しく思い出すのは?と聞くと、
「コンビニ…」
おおっ、日本の少年だ!と思ったことがありました。
プロチームは持ってないんだけど、U-15とか、17のチーム同士で練習試合なんかはたくさんやってました。
だから、普通のクラブで日本人1人で頑張り、試合に出るチャンスが得られないより、日本人でもたくさんブラジル人と試合ができる、そういう環境も、1つの選択肢としては、ありなんだろうな。
特殊なチーム作りかもしれないけど、ブラジル人チームメイトも、別に日本人の相手をしてくれる人達、というわけじゃない。
それぞれが、そこからチャンスを得て、ビッグクラブへのステップにしようと必死だから、競争相手です。
一方、1人でブラジル人の中に飛び込んで、ビッグクラブの下部組織でやってる選手に会ったこともあります。
おとなしいタイプの人でしたが、とってもほがらかな感じで、「サシミ~」と呼ばれて、からかわれつつ、みんなにかわいがられてました。
仲良しのブラジル人チームメイトもできて、い一緒に行動していたみたい。
毎日ほとんど同じメニューが続く寮の食事に、飽きない?と聞くと
「飽きました!」
即答!
でも、ガンガン食べてました。
本人としては、「まずはビッグクラブの下部組織で、ブラジル人の中に混じって、”ブラジル”を経験する。その後、もう少し出場の機会を得やすい、地方の小さなチームに行く」と言ってました。
留学行った人で、サッカー選手になった人、ならなかった人、それぞれ、留学時代の武勇伝なんかを楽しく話してくれる人は、ホッとしますよね。
寮の食事では足りないから、外でサンドイッチやなんかを食べるんだけど、寮の周囲は環境が悪いから、門に辿り着き、守衛さんに開けてもらうまでが、毎回命がけ!?の猛ダッシュだった!とか。
ブラジル人チームメイトより、よっぽどうまく、難しいブラジル国歌を歌えるようになったんだ、とか。
夜、窓を開けると蚊が入る。でも、閉めるとエアコンがないから、蒸し風呂。それでやせちゃった、とか。
食べ物が合わなくて、最初は果物ばっかり食べて、しのいだ、とか。
10人部屋だった、とか。
相部屋だった選手がふるい落とされ、去っていくのを見て、生存競争の厳しさを肌で感じた、とか。
バルセロナのエジミウソンは、キンゼ・デ・ジャウーという、日本人留学生をたくさん受け入れているクラブに所属していたことがあります。
厳しい戦いだった少年時代を共にしたチームメイトとして、今も当時の留学生達のことを、とっても懐かしく思い出すみたい。
2002年ワールドカップで日本に滞在した時には、当時の留学生が何人も、彼を訪ねてきていました。
ジャウーには、カズ選手もいましたよね。
清水エスパルスや浦和レッズでプレーしたトニーニョは、ジャウーでカズと出会い、後のJリーグにつながる友情を築いたと言ってました。
そんなトニーニョは、「慣れてきた頃に、悪い遊びを教える人に出会って、サッカーよりそっちが楽しくなって、落ちていく日本人」というのをたくさん見てきたそうです。
だから、今もジャウーで頑張ってる留学生達に、「頑張って欲しい!」と心からエールを送っていました。
長い割りには、足しになる情報がないことでおなじみの?私のブログ…。
また何か思い出したら、留学の話、書きますね。
ちなみに、下部組織の寮って、スタジアムにあるクラブも結構あります。
サントスなんかは、ここ。
すごくしっかりした下部組織です。
ガクさんへ
アブダビは、すごく治安が良さげな感じがしました。
私らが泊まったのは、3つ星のごく普通のホテル。
で、ホテルのレストランで、夕食に1人がラザニアを頼んだら、冷凍食品っぽくて、片方が冷たかったんです。
半分だけ、アツアツで。
それで苦情を言ったら、温めなおすんじゃなくて、新しいのが出てきました。
全部アツアツ。当然、冷凍っぽいんですが。
「シェフの威信を賭けて!」とウエイターさんは言ってました。
シェフの威信?というのがあてはまる状況かどうかはともかく、外国人を大切にする気持ちは伝わったかな、と。
海賊さんへ
イエメンの向こうを張って。
リオの「ジョアン・アベランジェスタジアム」では、入り口でジョアン・アベランジェ(元FIFA会長)の絵が迎えてくれます。
さとみさんへ
芸術ですか!
意表を突くリアクションで、あんまり良く知らないんですが…。
でも、少なくともセレソンの泊まったホテルでは、「ま、まぶしい!」と言うほど、ゴールドをたくさん使った空間や、南国風の空間や、いろいろ工夫が凝らしてあって、いい感じでした。
フッキさんへ
というわけです。
また、何かいいことを思い出したら、書きますね。
しゅんたろすのスキップさんへ
前に、私にとってもUAEが未知の国だった頃。
木村和司さんと話して、ずーっと昔に初めて木村さんがUAEに行った時、スタンドがぜーーーんぶ男の人なのが、不思議な気がしたと言われてました。
で、ウェーブが起こるんだけど、男ばっかりだからか、ぐぉ~~~~!
そのウェーブのうねり具合と周回の、速いことと言ったら!
と話してくれて、大ウケした記憶が。