先日、知人の教師に依頼され、引佐南部中で全3年生91人を対象に、講演会を行いました。

 悩んだ末、タイトルは「凸凹人生と不思議な出会い」にしました。

 教室でクラス単位、というのは何回か経験がありますが、体育館で一学年というのはさすがに初めてです。

 緊張を通り越して、まさに「逃げ出したい気分」を味わいました。

 

 

 受験を控えた中学三年生の「生き方講座」。

 その講師が私でいいのか。

 正直、とてつもないプレッシャーでした。

 

 昨年、市内の某中学で2年生の3人グループのインタビューにこたえ、好き勝手に人生論を語ったところ、担当のU教諭の記憶に残った、というのがきっかけでした。

 今春、引佐に転勤されたのは存じておりましたが、転勤先から、まさかのお声が掛かりました。

 

 「やるからにはいいものに」と、過去の写真を用意したり、資料集を用意したり、会場の下見に行ったりと、準備に時間を掛けました。

 話しながら自分の気分を高めようと、無理言ってパワーポイントに、その時代のバックミュージックを挿入してもらいました。

 

←講演に使用した40年前の写真(私は4番)

 

 相手が中学生なので、実家に戻り、昔の写真を掘り出しました。

 「できるだけ分かりやすく。経営なんて難しい話はやめよう」

 子供時代の失敗談、自分の運命を左右した恩師の話、中国人インバウンドとの悪戦苦闘などを中心に、話を組み立ててみました。

 

 

 

 

 

 会場は体育館でした。

 いざ、始めてみるとシーン。

 笑いをとるはずの場面もなかなか反応が薄い。

  

 「私は19歳の浪人時代。同じ年の渡辺美里のマイ・レボリュ-ションという歌に励まされました。渡辺美里を知ってる人?」

 誰も手が上がらない。(考えてみれば、今、ほとんど歌っていないか)

 御巣鷹山飛行機事故、リーマンショック、凄いことが起きました。あれ通じない。

 完全にジェネレーションギャップですね。

 

 

 

 途中、マイクを持って生徒の中を巡りながら、話してみましたが、硬直した表情をほぐすことはできませんでした。

 

 振り返ってみると、あの場面での生徒の心理状態を、私が理解できていませんでした。

 部活以外で「体育館」が使われるのは、始業式、終業式、入学式、卒業式…。

 そう、堅い場面ばかり。

 

 コロナ渦で隣の友達とは距離があり、皆、体育座り。

 周囲はきちっと先生が取り囲み、おまけに校長先生まで臨席しています。

 そこに現れたのは、スーツにベスト姿の「見慣れぬ経営者」。

 

 さぞ長い70分だったでしょう。

 途中、姿勢を崩したり、深呼吸したり、皆さんをリラックスさせる配慮が私に足りませんでした。

 

 

 

 

 話の中身は、恥ずかしくて書けません。

 と言いながら一つだけ。

 

  「人生は一期一会」。学校、地域、ビジネスなどで、生じた不思議な出会いが、のちの人生を大きく好転する結果につながることがある。普段から人との関わりを大切に、「その瞬間のベスト」を出していこう。

 

 おまけにもう一つ。

 

 これから「死や悲劇」がふいに、目の前に現れることがある。

 「もっとこうしておけば」と、後悔しないような日々を過ごしてほしい。 

 でも「幸運の女神」も、突然にやってくる。

 こちらは一瞬のこと。そのチャンスを逃さないために、読書、勉強、練習… 普段から準備をしてほしい。

     

 「どの口が言ってるんだ」と言われそうですが、私なりに一生懸命、話してきました。

 

 

 でも、

 「うまく話せなかった」

 「子どもたちに実りのない時間を過ごさせてしまった」

 私はしばらく落ち込んでいました。

 

 

 4、5日して学校から、生徒全員の感想文が自宅に届きました。

 開いてびっくり。

 あれ、しっかり聞いていたんだなあ。

 言いたいこと、伝わってるぞー。

 胸をなで下ろしました。

 

 

 このような講演をするのは、成功者だったり、飛ぶ鳥を落とす勢いの人、だと思ってました。

 そういう意味では、私達ホテル業界は今、正に正念場。大逆風下です。

 お話をいただいた時の心境は、「よりによって、こんなどん底経営者に」でした。

 でも今、部活の外部コーチを通じて、中学生にたくさんのエネルギーをもらっています。

 

 恩返しのつもりで、役不足は承知ながら、引き受けました。

 話の出来は今でも ? です。

 でも終わってみれば、貴重な体験の場をいただき、お礼を言わなければいけないのは私のほうかもしれません。