このブログは
『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』
で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。



ハサミハサミハサミハサミハサミハサミハサミハサミハサミハサミ


H29年2月19日・・・の続き


こう見えて?(どう見える?笑)

翔平はサッカーサッカー小僧でした。


幼稚園のサッカー教室から中学校まで
ずっと大好きなサッカーに明け暮れる日々

でもね

サッカーは下手くそでした~ 
(ごめん、翔平、ばらしちゃった~)

言い訳させて下さい!

中学校までは
本当に体が細くって
本当におチビちゃんでヒヨコ

試合に出してもらっても
周りの子がガッシリ大きくて当たり負け笑い泣き

おまけに走るのも遅くってランニング

あっ、誰か『そんなんで、よくサッカーやってたねえー』と思ったでしょ~(笑)


なぜ翔平がサッカー部を辞めずに続けられたかとゆーとね・・

大好きな仲間がいたから!!

部活の練習で600メートルを〇秒以内に全員走りきる!というメニューがあって
一人でもタイムアウトになると連帯責任でショボーン
クリアするまで何度でも走らされるのだ。


もちろん、いつもみんなの足を引っ張る事になるのが翔平アセアセ
みんなに悪いなぁ、との思いに悔し涙を見せる事もあったそう。


だけどね


早く走り終わった仲間から
一人、また一人、と
次々と翔平の後ろにまわり
みんなで翔平の背中を押して走ってくれたそうなんですタラー
頑張れ翔平!諦めるな翔平!とね。


中学のときの600メートルでつけた体力を使うときがきたやんか筋肉
と、友達からLINEきて

今の病気の治療より
あの時の600メートルダッシュの方が断然キツかった~ガーン
抗がん剤やら移植やら、あのときに比べれば大したことない!と、改めて病気と闘う気持ちを強く持った翔平。


あの時の
あの苦しさを経験したから・・
あの時の
あの熱い友情を感じたから・・

今もこうして頑張れるんだよ