このブログは
『慢性活動性EBウイルス感染症』で
たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。
H28年12月1日・・の続き①
必死の懇願により
ようやく大学病院への搬送が決まった。
『翔平!病院移れるよ!』
『母さん、心配させてごめん。ありがとう。』
私は早速荷物を整理し、車の用意をしようとしていたら
『すぐに救急車が来ますから、お母さんも一緒に乗って大学病院までお願いします』
救急車ー
そして、翔平と私は救急車に乗り込み出発
車内では、
救急隊員がバイタルチェックしたり、いろんな器具をチェックしたり、と
テレビドラマでよく見る光景が・・・
この時はまだ二人で目を見合せ、なんかドラマみたいだね~って話す余裕がありました。
救急車は高速道路を突っ走り病院を目指します。
高速を降りて一般道路になると
今までスムーズに走ってきたのが一変し
度々救急車の走りが止まることが・・・
ねぇねぇ、みんな~、ちょっと~、早く車よけて~私たち、急いでるの~
っと焦りながらも、ようやく大学病院に着きました
翔平が向かった先は
病院の最上階にある病棟・・・
血液内科の無菌病棟でした。