小説『stray sheep』先頭へ

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 鈴の音が鳴ると真っ赤なTシャツを着た女の人が顔をあげた。パーマのかかった髪は麦藁色で、首には艶々と光るネックレスがぶら下がっている。

 

 

「あら、かわいい子を連れてきたじゃない。順子ちゃんの言ってた教え子ちゃんね。ところで、もう来てるわよ。ぺこぺこ頭下げてるわりには目つきの悪いのが。前の人とは変わったのね」

 

 

「すぐ着替えてくるよ。昌子さん、もうちょっとだけいい?」

 

 

「もちろんかまわないわよ。だけど、私がここに立ってるとスナックみたいに見えるでしょ。それでもいいならだけど」

 

 

「ま、それはやむを得ないね。――じゃ、昌子さんと話してて。この人は熟練した船乗りくらい物知りだから飽きることはないだろう。僕は仕事の話をしなきゃならないんだ」

 

 

 奥へ向かう背中を見ていると笑った声が聞こえてきた。軽やかな声だ。

 

 

「さ、そんなとこに立ってないで座んなさいよ。あなたは、――ええと、そう、結月ちゃんでしょ。あたってる?」

 

 

「はい、そうです」

 

 

「やっぱりね。順子ちゃんから聴いてたわ。とびきりかわいい子が最近よく来てくれるって。もう一人、えっと、なんてったっけ? なんだか煩い子も来てるって言ってたけど」

 

 

 口をあけて私は笑った。昌子さんは腕を組んでいる。

 

 

「ま、これで昴平ちゃんも若い子としゃべれるってわかったわ。あの子って、いつもむさ苦しいおじさんとばかりつるんでるのよ。ここに戻ってきたときはずっとムスッとしてたしね。女っ気なんてまったくなくて、おばさんは心配してたの」

 

 

「先生のこと昔から知ってるんですか?」

 

 

「ええ、まあね。それこそ生まれたときから知ってるわ。――ところで、なにか食べるでしょ。つくっちゃうから待っててもらえる?」

 

 

「はい、ありがとうございます」

 

 

 床には日があたり、窓の桟は濃い影になっていた。それを眺めていると知った曲が流れだした。題名はわからない。でも、確かに聴いたことのある曲だった。明暗の区切りを見つめながら私は思い出そうとした。ただ、その前に音は途切れた。

 

 

「はい、できたわよ。こんなんでいいかしら」

 

 

「えっと、これ全部食べるんですか?」

 

 

「食べられない? それくらい若いんだから平気よ。ま、あまり食べ過ぎちゃうとおばさんみたいになっちゃうけどね」

 

 

 カウンターに寄りかかり、昌子さんは目を細めた。ふくよかな頬には斜めにあがるチークが塗られてる。

 

 

「それね、全部順子ちゃんが仕込んでおいたものよ。私はそれを温めたり揚げただけ。ほんと、こんなに美味しいの出してるんだから、もっと流行っていいはずなんだけどね。今日も朝から閑古鳥よ。午前中に何人か、昼頃にもぽつりぽつり。こんなんじゃ立ち行かないわ。これでも昔はけっこう混んだんだけどね。なんでか知らないけど旦那さんが亡くなってからこうなっちゃったの」

 

 

「順子さんは大丈夫なんですか?」

 

 

「まあ、大丈夫でしょう。なにかあるようだったら、お医者から話があるはずだしね」

 

 

 そう言いながら昌子さんは奥へ向かった。そのあいだ私は手を止めていた。こんなに食べられるはずないのだ。

 

 

「はい、コーラ。――あら、あまり減らないわね。ちょっと多すぎたかしら」

 

 

「ええ、まあ」

 

 

「おばさん、子供がいないのよ。だからって言うのもなんだけど、あなたみたいな年の子がどれくらい食べられるかわからないの。ま、残しなさい。昴平ちゃんのお昼にすればいいんだから」

 

 

 私は奥の席を窺った。エプロンを着けた背中は半分だけが見えている。

 

 

「あの、さっき言ってた旦那さんって、高槻先生のお父さんっていうか、その、本当のお父さんじゃない」

 

 

「ああ、聴いてる? ま、昴平ちゃんからしたら義理のお父さんになる人よ。いい人だったけどね。もう亡くなって十年になるわ。そう、それで昴平ちゃんは戻ってきたんだもんね。だけど、ほんとによかったわ。昴平ちゃんもやっと落ち着いてきたっていうか、普通な感じになってきたものね。ほら、おばさんって子供がいないじゃない。だから昴平ちゃんをほんとの子供のように思ってるの。昴平ちゃんも懐いてくれてね。『マチャコおばちゃん、マチャコおばちゃん』って言ってはついてまわったもんよ」

 

 

「本当のお父さんってどんな人だったんですか?」

 

 

「ま、あまりいい感じの人じゃなかったわね。あの頃には順子ちゃんにもいろいろあって、そこに紛れ込んできたって感じだった。――って、こんなこと高校生に話していいのかしら?」

 

 

「大丈夫です。それに知りたいんです。教えてください」

 

 

「だけど、あまりこういうのはね。それに、ここは順子ちゃんのお城みたいなもんでしょ。話すのは気が引けるわ」

 

 

「私は順子さんのことも知りたいんです。前に気になること言われて、それがずっと気になってて、」

 

 

「順子ちゃんはなんて言ってたの?」

 

 

「その、私みたいな人間に憧れちゃいけないって」

 

 

「そう、そんなこと言ってたの」

 

 

「だから知りたいんです。順子さんや高槻先生のことを」

 

 

 瞳をあげ、昌子さんはしばらく黙った。頬の張りは急になくなったようだ。

 

 

「じゃ、言うけど、あまり楽しい話じゃないわよ」
 

 


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《雑司ヶ谷に住む猫たちの写真集》

 

 

雑司ヶ谷近辺に住む(あるいは
住んでいた)猫たちの写真集です。

 

ただ、
写真だけ並べても面白くないかなと考え
何匹かの猫にはしゃべってもらってもいます。

 

なにも考えずにさらさらと見ていけるので
暇つぶしにどうぞ。