小説『stray sheep』先頭へ

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 立ちどまり、高槻さんは振り返った。頬はわずかにゆるんでる。

 

 

「ところで、柳田くん、君のにもメインテーマの他にサブテーマといえるものがありますね。ただ、この頃の展開では非常に弱くなってるというか、ほぼ消えかかってるように思えます。それについてはどう考えてますか?」

 

 

「あ、はい」

 

 

「途中までは二つのテーマがバランスよく書かれていたと思うんです。だけど、ここのところサブテーマが見えにくくなってませんかね。『三四郎』では広田先生の問題を要所に置き、存在を忘れさせないようにしています。しかし、君のは中心となる恋愛問題が全体を覆い尽くした感があります。僕が言ったこと理解できますか?」

 

 

 瞼を瞬かせ、柳田さんは首を曲げかけた。加藤さんは正面を向いている。

 

 

「はい、理解できます。その、僕も気になってはいたんです。ただ、どうしてもそっちに集中してしまって。それにサブテーマについてはどう解決させたらいいかわからなくなってて、」

 

 

「よろしい。わかってるならいいでしょう。まあ、いったん最後まで書き終えるのも手ですよ。メインテーマだけ区切りをつけてしまうんです。そうするとサブの方も動かざるを得ないでしょうから、その上で補正するのもありです。しかし、感情的になってませんかね。展開としてそうなるのは当然ですが、それにしても熱くなりすぎてる。――違いますか? 書き手はある程度冷淡でなければなりませんよ。登場人物にブレーキをかけられるのは書き手だけですからね。自分の感情も抑制する必要があるんです」

 

 

 高槻さんは目を細めた。そのままで首を巡らしている。

 

 

「これは、亀井くん、この前君に言ったのと同じですね。それに経験と想像の問題でもあります。小説を書くとき、僕たちはどうしたって経験に影響を受けるものです。現にいま経験してることにもね。そうなると自分の思いをこれでもかと注ぎ込みたくなるんですよ。しかし、僕たちは日記を書いてるんじゃありません。他者に読まれるべき小説を書いてるんです。そのためには経験を普遍的なものへ換えなければなりません。自分だけにわかるものなんてのは日記やラブレターに過ぎませんからね。しかも感情たっぷりのラブレターは独り善がりになりがちです。相手のこともしっかり考えてあげなければなりませんよ。――いえ、もちろん書き手にも感情はあるから、それが出ないなんてことはないし、出しては駄目というのでもないんです。ただ、書き手が感情にのみこまれてしまうと読者はついていけないんですね。だから、小説に限らず文章には抑制が必要なんです。そのためには何度も読み返すことですよ。感情によって過大になってるところがないか点検するんです」

 

 

 口を覆い、高槻さんは教室を見渡した。未玖はぼうっとした顔で頬杖をついている。

 

 

「なんて言っておきながら僕自身が感情を抑えられてなかったようです。これじゃ感情的になる理由があるみたいですね。冷静にいきましょう。――さて、しばらくは広田先生の問題がつづきますが、挿し挟まれるようにこういった会話もされてます。ええと、二百六十ページですか。読みますよ。

 

『「里見の御嬢さんからじゃないのか」

 

「いいや」

 

「君、里見の御嬢さんの事を聞いたか」

 

「何を」と問い返している所へ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符を欲しいという人が階下したに待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った』

 

 思わせぶりですね。しかし、三四郎には理解できることがあるはずです。あるいは予感でしょうか。読み手にも予感を持たせる書き方です。それでいて与次郎はいなくなってしまい、三四郎もあとを追ってまで訊こうとしないんですね。まあ、この行動は不可解に思えますが、サブテーマがつづく中でも少しだけメインテーマを出してるのは巧いやり方です。母親からの手紙、それを見て与次郎が『やあ女の手紙だな』と言う、そこから美禰子の話になる。うん、自然な流れです。このように書けばいいんですね。漱石はそのために少々長く母親からの手紙を入れ込んでもいるわけです」

 

 

 腕時計を見ながら高槻さんはノートを捲ってる。細かくうなずいてもいた。

 

 

「では、休憩にしますが、その前にこれだけは話しておきましょう。二百六十一ページにこうありますね。

 

もっとも与次郎の心理現象は到底三四郎には解らないのだから、実際どんな事があったか想像は出来ない』

 

 これもさらっと書かれてるのですが少し気にかかります。いえ、ごくあたりまえなことですよね。他人の考えてることはわからないのだから、表立って見えるものだけで起こったことを想像はできない。そういう意味でしょう。しかし、そうであったら僕たちがしてるのはおかしなことになりますね。三四郎や美禰子がどう考えてるか探ろうとしてるわけですから。それに小説なんて書けなくなるかもしれません。僕たちは自分の心理現象を全部とはいわないまでも知ることができます。ただ、他人となるとどうやっても知ることはできません。それを前提として生きてるし、小説を書いてもいるんです。感情を推し量ったり、創作においては登場人物のそれを誘導して物語上の役割を担わせてるんですね。いや、これは単に三四郎の感想であって、さほど気にするところじゃないのかもしれませんよ。しかし、前回話した原口さんの台詞にも通じてるように思えます。もう一度そこを読みますね。

 

画工えかきはね、心を描くんじゃない。心が外へを出している所を描くんだから、見世さえ手落なく観察すれば、身代は自ら分るものと、まあ、そうして置くんだね。見世で窺えない身代は画工の担任区域以外と諦めべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊が籠らなければ、死肉だから、画として通用しないだけだ』

 

 僕はこれを漱石の態度表明と言いました。自負や自信のあらわれだろうとね。まあ、そうなんでしょう。そこへ先程の与次郎にたいする感想をつけ加えると、こう考えることができます。関係性の中に登場人物の感情はあらわれるのだから、僕たちは心が外に出ているところを書きさえすればいいのではないか、とです。もちろん底流として存在してるものを想像しながらですよ。その上で、それに霊が籠もってなかったら小説として通用しないのだと諦めるしかないんでしょう。そうならないためにも感情を抑制する必要があるんですよ。ある程度は冷淡に登場人物の感情に寄り添うべきなんです。希望を押しつけることなくね。――では、十分の休憩にしましょう」

 

 


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《雑司ヶ谷に住む猫たちの写真集》

 

 

雑司ヶ谷近辺に住む(あるいは
住んでいた)猫たちの写真集です。

 

ただ、
写真だけ並べても面白くないかなと考え
何匹かの猫にはしゃべってもらってもいます。

 

なにも考えずにさらさらと見ていけるので
暇つぶしにどうぞ。