小説『stray sheep』先頭へ

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「ほんと、ぐちゃぐちゃしてるわ」

 

 

 ドアを閉めた途端に未玖は笑いだした。よく磨かれた床は白く輝いている。暑くはあるけど冷たさを感じさせる色だ。

 

 

「泥亀はまた結月のことじっと見てたじゃない。それに、あの三人はさらにこんがらがってそうだし。ね、この前の話じゃ、魔性の女は悩んでそうってことだったけど、また違う感じになってきたみたいね。だって家にまで行ったんでしょ。それをみんなの前で発表しちゃうんだから、なにかしら心境の変化みたいなのがあったってこと?」

 

 

 階段をのぼりながら未玖はしゃべりつづけた。上からは楽器の音が聞こえてる。

 

 

「知らないわよ」

 

 

「ま、そうでしょうけど、こういうのって考えるの楽しくない?」

 

 

「楽しんでるのは未玖だけ。先生は悩んでるの。言っといたでしょ。もうあまり刺激しない方がいいって」

 

 

「でも、そういうときってチャンスじゃない」

 

 

「チャンス?」

 

 

 上の階に近づくと音は強くなった。聞いたことのあるメロディーだ。

 

 

「あれ? なんだっけ、これ。――ああ、『ソルヴェイグの歌』か。だけど下手ね。私たちの方が上手かったんじゃない? でね、チャンスってのは昴平さんと結月のこと。相手が悩んでたり弱ってるときって忍び寄るチャンスじゃない」

 

 

「そういうのもうやめてくれない?」

 

 

「なんでよ。気持ちがあるなら形にしちゃった方がいいわよ。人を好きになるのって素敵なことだし、誰かに属してるって感覚も悪くないもの。こう、なんて言ったらいいんだろ? 蕩けちゃうって感じ? 好きって気持ちだけでもそうなっちゃうのに、向こうも好きなのがわかるとほんと蕩けちゃうの。それに、抱き合ったりするともう駄目。蕩けちゃって、もうなんだかわからなくなるの」

 

 

 私は溜息をついた。未玖はわざとらしく目を大きくしてる。

 

 

「こういうのは子供にはわからない感覚よ。自分もメスなんだってわかるの。身体ごと求めてるんだってわかるのよ。こう、脚がもじもじしちゃって、熱くなって、湿って、内側から突き上がってきちゃうの。そういうのって隠そうとしたって出てきちゃうのよ。まわりで見てたってわかっちゃうんだから」

 

 

 扉の前にくると未玖は急に真顔になった。そのままで強く見つめてきた。

 

 

 

 

 高槻さんはフェンスに寄りかかっていた。煙草のけむりは細く立ちのぼってる。

 

 

「また月を眺めてるんですか? ――って、やだ、邪魔なのがいるって顔しないでくださいよ。なんなら私はすぐに消えますから」

 

 

「は? なんのこと?」

 

 

「いえ、とくに深い意味はないです。で、悩んでるんでしょ? あの三人のことで」

 

 

「いや、悩んでまではいないよ。どうしたもんかと思ってはいるけどね。『三四郎』の話をしてるはずが段々逸れていくんだ。文学の話じゃなくなっていくんだよ」

 

 

「そんなのしょうがないじゃないですか。あの三人が勝手にこんがらがってるだけなんだもん。昴平さんのせいじゃない、っていうのはどうかと思うけどそれだけじゃないでしょ?」

 

 

「いや、半分は篠田さんのせいだから」

 

 

「ええ! どうしてですか?」

 

 

「だってさ、チクチク刺激しろって言ったのは篠田さんだろ。ま、それに乗ったのは僕だけど」

 

 

 腕を組み、未玖は頬を歪めてる。ただ、すぐにニヤついていった。

 

 

「ま、それはおいといて、建設的な話をしません?」

 

 

「建設的?」

 

 

「そう、この状況を文学のために使うんです。もともとそういう話だったでしょ。あの三人を見ながら文学の勉強をするって。だから、くよくよせずに学びましょうよ。――で、昴平さんの意見を聴きたいんですけど、加藤さんは落ちこんでそうだったんですよね? ほら、前のときはそういう感じだったじゃないですか。それが突然あんなこと、横森さん家に行ったみたいなことを言い出したのはどうしてだと思います?」

 

 

「うーん、そうだな。この前はあんな感じだったのに突然ああ言い出したのは、――うん、横森くんの方からアクションがあったのかもしれないね。で、会いにいった。そこでなにかあったのかもしれない。加藤さんは言ってたろ? 強いものをくれる方へ傾きたいみたいなこと。あれは二人にたいするメッセージで横森くんはそれをきちんと受け取ったってふうにも考えられる」

 

 

「じゃ、横森優勢ってことですか?」

 

 

「いや、そうとも言えない。だって、どっちつかずな感じだったのは三日前のことだよ。それが急に展開するとも思えない。それじゃ、点と点を繋ぐ線が短すぎるよ。それにそういった急激な変化があったようには見えないんだよな。まあ、加藤さんはクールだから気取られないようにしてるとも考えられるけど」

 

 

「だったら、なんでみんなの前でああ言ったんです?」

 

 

「それはこう考えられる。柳田くんに聞かせるためだってね。つまり柳田くんの気を引こうとしたってことさ。その場合、見舞いに行ったのもそれが理由になる。これは横森くんの方からアクションがあったんじゃなく、柳田くんの行動を引き出すために敢えて行ったって考え方だ。ま、そんなことを高校生がするのは疑問だから年齢設定をそのままにするなら僕はそう書かないけどね」

 

 

 そこまで言って高槻さんは肩をすくめた。未玖は笑ってる。

 

 

「悪い癖だ。やめようと思ってもどうしたって行動を腑分けしたくなる。小説を書いてる者は気をつけないといけない。普段からこうしてると嫌われるからね」

 

 

「でも、すごくわかりやすかったし、面白かった。ね、結月?」

 

 

「うん。まあ、そうだけど」

 

 

「いや、それにしても君たちの恋愛問題に振りまわされてるな。落合さんが言ったようにこれは『三四郎』をテキストにしたせいでもあるのかな。『セロ弾きのゴーシュ』くらいにしときゃよかったよ」

 

 

「だけど、『三四郎』でよかったと思います。――あの、この前はああ言いましたけどそれは悪いことじゃなくって。それに、先生がすごく好きなんだってわかるから、それがみんなに伝わってるんだと思うんです。それでこうなってるんだと」

 

 

「ありがとう。そう言われるとちょっとは救われるよ」

 

 

「そうですって。私もすごく好きになりましたもん。話としても面白いし、現実の三角関係を見ながら読めるのがなんといっても面白すぎますって。それにあの三人は『三四郎』じゃなくたってああなってたんだろうし。ほら、恋愛小説読んでるとその気になっちゃうってことあるでしょ。そういうことなんじゃないですか。――ん? ってことは、泥亀が結月のことじっと見てるのもそのせいってこと?」

 

 

 扉をあけるとき高槻さんはすこし首を曲げた。その目は細められていた。

 

 

 


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《雑司ヶ谷に住む猫たちの写真集》

 

 

雑司ヶ谷近辺に住む(あるいは
住んでいた)猫たちの写真集です。

 

ただ、
写真だけ並べても面白くないかなと考え
何匹かの猫にはしゃべってもらってもいます。

 

なにも考えずにさらさらと見ていけるので
暇つぶしにどうぞ。