小説『stray sheep』先頭へ

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 加藤さんが手を挙げた。長い髪はさらさらと揺れている。

 

 

「はい、加藤さん、なんでしょうか?」

 

 

「あの、いま言ってた、人間が真剣に関わりあうと美しくなくなるってのはどういうことですか?」

 

 

「ああ、そうですね。たとえば、――うん、そうだな、ここに三人の男女がいるとします。『三四郎』と同じく男二人に女一人としましょうか。そして、これも同じく二人の男はその女性が好きなんです。いや、激しく愛してるんですね。この前加藤さんが言ったようなぬるま湯みたいな関係と違って深刻になるくらい愛してるんです。その場合には美しくあることなど考えないでしょう? 格好悪く思われてもいいから自分の気持ちを声高に叫ぶはずだし、そうすべきなんです」

 

 

 加藤さんは隣を窺うようにしてる。柳田さんは首をあげた。

 

 

「柳田くん、なにか意見がありますか?」

 

 

「え? あ、はい。今のと関係あるかわからないですけどいいですか?」

 

 

「いいですよ。どんなことです?」

 

 

「漱石は次に書いた『それから』でそういう関係を書いてるってなにかで読んだんですけど」

 

 

「なるほど。君は『それから』も読みましたか?」

 

 

「はい。読んだことはあります」

 

 

「そうでしたか。まあ、いまは『三四郎』の講義中ですのでそれを持ち出すのはどうかと思いますが、少しだけ話しておきましょう。僕は『それから』の主人公にも真剣さが足りてないと思ってるんです。真剣であったらああはならなかっただろうとね。いや、読んでない方もいるでしょうから説明します。漱石が次に書いた『それから』にも三角関係が出てくるんですね。『三四郎』とは違って、深刻そうに思える関係としてです。『それから』の主人公である代助は学生時代に好きあってた女性と友人が結婚するのを後押しするんです。これには幾つかの理由があるんですがそれはいいでしょう。で、その夫婦が生活に困って東京に戻るとなにくれとなく世話をします。そして、彼女の境遇を知り、ふたたび愛するようになるんですね」

 

 

 黒板に向かい、高槻さんは『三千代』と書き、その下に三角形をつくるように『代助』『平岡』と書いた。それから、すこし考えるようにして、隣に『美禰子』『三四郎』『野々宮』と書いた。

 

 

「『三四郎』の場合と違うのは、この二人――三千代と平岡が結婚してることです。つまり、代助の愛は簡単にいってしまえば不倫を呼ぶものなんですね。状況的には真剣にならなければいけないはずです。なにしろこの時代の不倫は罪になるんですから。実際にも平岡は代助の実家にその罪を暴く手紙を送りつけ、経済的に破綻させます。このように深刻に関わると美しさからは離れていきます。しかし、こちらの三人、美禰子、三四郎、野々宮の関係はそこまで煮詰まりません。もちろん漱石がそうさせないよう書いてるからです」

 

 

 本を取り、高槻さんはページを繰っていった。

 

 

「さっき言った轢死の件にこういう文章があります。

 

『三四郎の眼の前には、ありありと先刻さっきの女の顔が見える。その顔と「ああああ……」といった力のない声と、その二つの奥に潜んでおるべきはずの無残な運命とを、つぎわして考えて見ると、人生という丈夫そうな命の根が、知らぬ間に、ゆるんで、何時でも暗闇へ浮き出して行きそうに思われる。三四郎は慾も得もらないほど怖かった。ただ轟という一瞬間である。その前まではたしかに生きていたに違ない』

 

 ここで三四郎は生死について考え、恐怖を感じます。深淵を覗くようなことはするんですね。しかし、覗き見るだけです。そこへ入りこみ、生死の問題にどっぷり浸かるような真似はしません。美禰子にたいしてもそうです。覗き見るだけなんですね。心に入りこもうとしないんです。ただ美しいものをそのままに定着させたいと思ってるかのようです。前にも言いましたが『花は必ずきって、へいに眺むべきものである』という文章がありましたね。三四郎は美禰子を眺めていたいけど、それは人と人との関わりとしてではないんです。そして、このときの美禰子は絵に描かれつつあります。三四郎が眺めるべき美しい絵にです」

 

 

 高槻さんは首を曲げた。私もつられてそちらを見た。そのとき亀井くんと目が合った。空は青かった。ずっと先まで青がつづいてるだけだ。

 

 

「当然のことですが、漱石は美禰子が絵に描かれるのを念頭に置いてこれを書いてます。だから、三四郎と初めて会うシーンも絵画的な表現を用いていたのだし、それ以外のシーンでも構図を思わせる描写をしています。菊人形へ行く前によし子と話すシーンがありましたね。そこも写生文のようになってました。他にも野々宮くんが大学の建物を批評するとこなんかにそれはあらわれています。それらはすべて美禰子が絵に閉じ込められる前提で入れ込まれた文章です。美しいままに定着させる――つまり、深刻になるほどには真剣でない関わりを書こうとしてるんです。ただ、それだけでは深みが足りないと思ったのか広田先生の過去にだけ深刻そうなものをにおわせてるんです。これも巧いやり方ですよ。簡単には見習えないような巧さです」

 

 

 高槻さんはペットボトルの水を飲んだ。目は細められている。

 

 

「つづけましょう。しかし、ここでの三四郎はすこしだけ真剣になります。それでどうなるのかがこの後に書かれてます。もし彼がもうちょっと早く、それに本当に真剣になっていたら展開は変わっていたかもしれません。ただそれは言ってもしょうがないことです。僕たちは漱石の用意した物語に寄り添うことしかできませんからね。では、美禰子が絵に描かれるところを読みます。二百三十六ページです。

 

『静なものに封じ込められた美禰子は全く動かない。団扇を翳して立った姿そのままが既にである。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行のある画から、せいして、その奥行だけを落して、普通の画に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静さのうちに、次第と第一に近づいて来る。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえのぼらないほど柔順おとなしく経つに従って、第二の美禰子が漸く追付いて来る。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるという所で、時の流れが急にむきを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆ブラッシはそれより先には進めない。三四郎は其処までいて行って、気が付いて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持である』

 

 うん、素晴らしいですね。美しい文章です。ただ、ここにも漱石は悲劇的な印象を盛り込んでるように思えます。すこし後には『移りやすいうつくしさを、移さずに据えて置く手段が、もう尽きた』と書かれてます。これはおおげさにいうと死にも通じるのではないでしょうか。まあ、深刻になりすぎない『三四郎』においては別離で終わりますがね。――というところで休憩にしましょう。ええと、十五分後に戻ってきてください」

 

 

 


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《雑司ヶ谷に住む猫たちの写真集》

 

 

雑司ヶ谷近辺に住む(あるいは
住んでいた)猫たちの写真集です。

 

ただ、
写真だけ並べても面白くないかなと考え
何匹かの猫にはしゃべってもらってもいます。

 

なにも考えずにさらさらと見ていけるので
暇つぶしにどうぞ。