「わかったって。で、その刺激っていえばの話はなんなんだよ」
「あ、その話だったわね。あのね、私、昂平さんが書いたの幾つか読んだんだけど、その中にえらく刺激的なのがあったの。もう愛欲まみれみたいなのよ。あれはすごかったな。私、それ読んでさらに昂平さんを尊敬したの。だって、私が書いてるのの教科書みたいだったんだもん」
「へえ、意外だな。俺が読んだのはごく普通の恋愛小説だったけど」
二人はそろって顔を向けてきた。なにか言えといった表情をしてる。
「私が読んだのは、」
そう言ってから私は迷った。どう言えばいいかわからなくなったのだ。前の晩に読んだのは百合の花ばかり描いてる画家の話だった。その画家は人物を描くことが出来なくなっていて代わりに百合を描きつづけている。ただ、一人の女性と出会うことで、また人物を描けるように思えてくる――そういう話だった。
「え? なんでそこで固まっちゃうわけ? あんたが読んだのはどんなだったの? もしかして私のよりもっと刺激的だったりした?」
「ううん。どう言ったらいいかわからないけど、恋愛小説っぽいのだったわ」
「ま、ああいう人はいろんなのが書けるのよ。私、全部で四つ読んだけど、みんな違う感じだったもん」
未玖は何度もうなずいてる。それから、突然ニヤつきだした。
「どうしたの?」
「ん? あれは結月に回そうと思って。あんたはいつもカマトトぶってるからたまには刺激に充ちたのを読んだ方がいいわ。でも、亀井は駄目。あんたにはまだ早すぎる。――ところで、あんた、コーヒー飲みたそうな顔してるじゃない」
「は?」
「ほんとコーヒー飲みたそうな顔してるわ」
「なんだよ、買ってこいってことか?」
「お察しのいいこと。ね、奢ってあげるからコーヒー買ってきて」
強く目をつむり、亀井くんは立ち上がった。その姿が消えてから未玖は囁いてきた。
「さて、ここからが本題よ」
「え?」
「ちょっとカマかけてみる。うまくいくかわからないけど泥亀があんたを見つめるわけを訊くの。ま、ごく単純に考えれば好きになったってことなんでしょうけど、それにしたって突然じゃない」
私は袖を引いた。そんなことして欲しくなかったのだ。でも、言おうとしてるうちに声がした。
「ほら、買ってきたよ。砂糖やミルクはどうする? そちらもお持ちした方がよろしかったですか?」
「ううん、要らない。ありがと」
コーヒーに口をつけるとしばらく未玖は黙った。亀井くんは目を細めてる。
「なんだよ。なんでそんなふうに見てんだ?」
「別に。――あ、そうだ。またあの三人の話になっちゃうんだけど、菊人形のとこで美禰子が野々宮を見つめてたじゃない。で、昴平さんが訊いてたでしょ。どうして見つめたと思うかって。加藤さんは野々宮が好きだからだってこたえた。憶えてる?」
「ん? ああ、そうだったっけ」
「そうなの。横森さんにも訊いてたわ。その美禰子を三四郎は見つめてたけど、どういう気持ちになったと思うかって。横森さんはムカつくはずだって言ってた」
「それがどうかしたのか?」
「どうしたとかじゃないけど、今日も言ってたじゃない。『三四郎』を読むときは視線を気にした方がいいって。でも、それは本の中のことだけじゃなくって、あの教室でも起こってるって思ったの。バチバチと視線が飛んでるし、それが絡みあってるってね。あんたも感じない? いろんな視線が複雑に飛び交ってるの」
未玖はわからないように脚を蹴ってきた。目はゆるみきっている。
「まあ、そうかもな」
「なによそれ。そんなんじゃ駄目なんじゃないの? 言われてたでしょ、あんたの書いてるのには繊細な心理描写が必要みたいなこと。ところで、あんたってどんなの書いてるの?」
「ん、簡単にいうと恋愛小説かな。高校が舞台で、同じ部活の三人が主な登場人物なんだ。そのうちの男が主人公で、他の二人は女の子だ。そいつは片一方の子が好きだったんだけど、もうひとりの子も気になっていく。そういう感じの話だよ」
「なるほど。じゃ、ここにいる私たちの関係と似てるってこと?」
「違うよ。その、なんていうか、もっと複雑に絡みあってるんだ。だから、繊細な心理描写とか言われたんだと思う」
「テーマってあるの? こういう話にしたいみたいのは」
天井を仰ぎ、亀井くんはしばらく黙った。それから、ぼそぼそと話し出した。
「人間ってさ、ある程度の年齢になると誰かを好きになるだろ? それがどうして起こるか書きたいって思ってる。高槻先生にそう言ったら、面白いって言ってくれたよ」
「ふうん。で、あんたはどうしてそれが起こるって考えてんの?」
「まだはっきりはわからない。でも、幾つか考えてる。さっき言ってた『可哀想だた惚れたって事よ』ってのもありだと思うしね」
亀井くんは顔を向けてきた。目には鈍い光が入ってる。
「あんたの考えてることはなんとなくわかる気がする。成長すると人は恋をするようになる。動物が盛るようにね。で、その相手をじっと見ちゃうってんでしょ。身体つきなんかを想像しながらね。人間も動物なんだもん、そうなって当然だわ」
見据えられると亀井くんはうつむいた。でも、すぐに顔をあげた。
「篠田も言ってたろ、書いてるものに影響を受けてるって。俺もそうなんだよ。自分にもよくわからないことが起こってる。なにかが動いてるように思えるんだ。自分の中でだよ。それをきちんと文章にしてみたいって思ってるんだ」
また脚が蹴られた。ただ、私は微動だにしなかった。
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