今までの経過⑧ | カナダでシングルマザー子宮筋腫・子宮腺筋症闘病記

カナダでシングルマザー子宮筋腫・子宮腺筋症闘病記

2013年4月に双子の男児を出産。その直後に旦那がレイオフ。そして6ヶ月後にステージⅣの大腸癌と診断され、2年の闘病後他界。現在、子宮筋腫、子宮腺筋症を治療しながら子育て中。

硬い手術台の上に自分で乗って、麻酔医が注射を点滴のところから注射し、酸素マスクのような物を付けられた直後から記憶なし。

気付いたらストレッチャーの上に乗せられてました。

手術時間はわずか13分だった模様。

もしかして、カメラで見たら、筋腫じゃなくて悪性の何かで手の施しようがなかったんじゃ。。。と、麻酔で朦朧としている頭で妄想開始。

そして、ナースに「私、大丈夫なの?」と聞く始末(笑)

執刀医に、「カメラ挿れたら、筋腫が結構中に入ってしまっていて、表面しか削れなかったから手術時間が短かったの。悪いものではないから安心して。」と、言われ回復室へ。

見渡せば私なんて健康そのもの。

黄疸で土色の人や、ものすごーい具合悪そうな人ばかり。

早くここから出なくては!

機会が勝手に15分おきに血圧を測る。

痛い。。。

いつも低血圧な私でしたが、この日は上は120前後、下は80〜90の間でとっても良い血圧でした。

ナース達が、「この子は鉄剤点滴することになってるけど、鉄剤どこ?」「まだ来てないんじゃないの?」「おかしいわね。」と会話をしているのが聞こえました。

やっぱりカナダだ、ここは。。。と、思いました。

30分後、病院の薬剤師が鉄剤を持って登場。

やっと点滴が開始されました。

少しウトウトしたけれど、周りがバタバタしているから眠れませんでした。

ナースに、「具合はどう?何か必要なものは?」と聞かれ、ダメもとで「水が飲みたいんだけど、飲んでもいいのかな?」と聞いてみたら、「もちろん。」と、氷のたっぷり入ったものすごい冷たい水を持ってきてくれました。

回復室には多分1時間半くらいいて、その後、安定ているけれど全身麻酔をしたから、少し様子を見なくちゃいけない患者さん用みたいな部屋へ移されました。

私の担当のナース、どうやらナースになったばっかりの方。

すごい頼りなく、何をするにも先輩達に聞いてからという感じでした。

一応筋腫を削り取ったから出血してるんだけど、なぜかパッドを下着なしで当てられてるため、血がベッドに流れて行く。。。

どこまで適当なんだろう?

トイレに行きたくなったので、ナースコール。

パッドを当ててるけど、下着がないからベッドに流れてるし、点滴繋がってるし、トイレに行く準備をするのに結構時間がかかりました。

ナースが、「終わったら流さないで呼んで。どんな尿が出てるか見たいから。」と、言われたので、終わってから呼びに行くと、担当のナースがいない。

他のナースは「私の担当じゃないからー。」と、関わりたくないということをアピール。

結局、担当ナースが帰って来る前に、他の患者がトイレ使って流してしまいました。

 

鉄剤点滴、結局4時間くらいかかり、病院を出られたのは18時でした。

もう歩けるのに、車椅子に乗せられて、付き添いで来てくれていた友達に、「車を入り口へつけるように。」と。。。

そんなに?私、もう大丈夫ですけど。。。

その日の夕食は固形の物は食べないように言われました。

小さな冊子のをもらい、そこに手術後の注意や、こんな症状が出たらすぐに救急へというような説明が書いてありました。

 

とりあえずスーパーへ寄り、スープを購入。

子供達は私が昔ホームステイをしていたお家に泊まることになっていたので、その夜は私一人でした。

他の知り合いに後日そのことを言ったら、「手術後に一人で夜を過ごすなんて!!」と怒られました(笑)

 

意地汚い私は、スープだけじゃ満足せず、結局うどんを茹でて食べてしまいました。

ちょっと気持ち悪くなってしまったけれど、自分が悪いので、バカだなぁと思いながら眠りにつきました。