11/23㈯勤労感謝の日、京都コンサートホール、道義さんと京響、最後の共演へ。
ブルックナー8番、また1週間ほど前からYouTubeで朝比奈さんとN響の8番を車の中やキッチンで家事をしながら聴くが、まだまだ曲が頭に入ってない。
今日の演奏はオーケストラの全ての音に思いがあるように感じた。
合唱しててもオーケストラを聴いていても、ついついただ楽譜に書いてある音を出してるだけという時は普段結構ある気がするが、
今日はそんなところがなく、道義さんとの最後の演奏だからそうではないかと私が勝手に思っているだけかもしれないが、楽団員の思いが最初から最後まですべての音にこもっている気がした。
でも、そんなふうに感じながら聴いていたにもかかわらず、なぜかこみ上げてくる感動があまりなく、涙も出なかったのはなんでだろう。
最近の演奏会でそんな状態でいたことは何度かある。
こないだの尾高さんのモツブル3聴いた時も、モツブル1と2の時はそんなに好きじゃないと思っていたブルックナーが結構いいやん、ブルックナーってこんなに美しかったんだと感動し次も聴きに行こうとなったのに、最後の3は必死に聴いて味わっているのに、1・2の時のようにならなかった。
そして尾高さん指揮で歌った8月の復活の時も、歌が入る前の前半の楽章を聴きながら、なんかオケいまいちやなと感じていた気がする。
(イマイチやったんは私の感性)
でも復活の時は本番が終わってからも何度もYouTubeでもちろん他の指揮者・オーケストラの演奏だけど復活を聴きたくて聴いていて、あとからじわじわじわじわと復活への感動が大きくなり、尾高さんとの時を思い出していた。
今回も道義さんと京響の生の演奏を聴いたのに、あとからまた何度も朝比奈さんとN響のブルックナー8番を聴いている。
今も聴きながら書いている。
少しずつブルックナー8番に惹かれていっている。変だね、まあいいや。
道義さんと言えば、6/21の京響とのショスタコーヴィチ2番、何年か前に大フィルとの2番3番があり私たちも歌ったが、大フィルの時はオケ合わせの最初オーケストラがぼろぼろで、こんなんで本番間に合うん?と私も思ったし、道義さんが「トランペットおおっっ」と怒ってられた記憶がある。
本番初日には、歌と歌の間でオーケストラだけが無調で拍もないような、蠢き渦巻きながら少しずつ膨れていき、頂点に達したところでシンバルがジャーンと鳴った次の拍からまた歌が入るところがあるんだけど、私はシンバルのジャーンに合わせて出るべく必死に楽譜を見ながら拍を数えていて、ちゃんと数えてたと思うのに、シンバルが突然ジャーンと鳴って、えっ、なに?と一瞬わけ分からなくなって、すぐ復帰できたけど、後から誰かがシンバルが一拍早く出たと言ってた。
合唱はまだ音楽が自分のものになってなかった気がするし、オケももっと準備の余地はあっただろうと思う。
今回の道義さんと京響は、大フィルとのときよりも遥かに生き生きとショスタコーヴィチ2番を演奏してくれた。
道義さんだって演奏の回数が増えるほど、音楽だって深まっていくだろう。
合唱もめちゃくちゃ良いわけじゃなかったけど悪くはなく、京響はショスタコ2番ってこんなにいいすごい曲なんだと教えてくれた、あのときはよくわからなかったけど。
以前に歌って曲のこと知ってはいたから、今回そう思えたのだろうけど、本当によかった、楽しかった。
あれに比べると今回の道義京響の演奏はそこまで感動がなかったが、私がその曲を知ってるか知らないかが影響してるだけかもしれない。
それと11/9のカーチュン・ウォンとPACも感動してるんだけどちょっとしきれてない私だった。
最近のコンサート、全部その気があるなあ。
それとやねん、水野さんの11/24のインキネン、神尾真由子、日フィルの投稿、もうすごいわ。感動やわ。日フィル聴きたいわ。私は聴いても水野さんのように感性ないから感じられないかもしれないけど。
前々週の新日本フィルと道義さんのレニングラードの投稿も、読みながら胸がドキドキして泣きながら読んだわ。
すごい人と出会えて幸せやわ。