キヨちゃんの自分史2
こんばんは
2人の息子の母、会社員夫の妻
キヨが
株式投資に出会った!
自分を振り返り
わたしがどうやってできたのか^_^
お金にも向き合いながら
自分史を書いていきます📖
私の基本情報にも触れました。
今日は
家族のことから
家族のことから
○厳格だけどユーモアも持ち合わせる父
○仕事大好き、料理も裁縫も得意な母
○礼儀正しくきれい好き、止まらない多趣味な祖母
○二つ上の足が速い兄
とわたしの5人家族
中学卒業15歳まで
一緒に暮らしていました。
一緒に暮らしていました。
両親は公立学校の教員で
祖母は元役場職員
堅実なお家です🏠
言葉遣いや食事のマナーなどに
厳しい家庭だったと思います。
小学生の頃
丁寧語と尊敬語と謙譲語について
食事中に議論されていて
正直めんどくさいなーと思っていたり。
歴史や政治の話もよくされる家だったと思います。
殆どは、つまらかったけれど
というより理解できてなかったけれど
父の話す
シルクロードの話は面白かった🐫
シルクロードの話は面白かった🐫
父の名付けた、わたしの下の名前は中国由来です。
両親が教員だったことを
友人へ話したときに
「両親が先生だと寂しくなかった?」
と聞かれて
「寂しくはなかったよ」
と答えたけれど
そう言ったときになんだか心の中で
寂しい気持ちを感じて
寂しい思いもしていたのだと思います。
母は運動会に来られないことがほとんだった。
同じ町で先生をしていたので
同じ日に運動会があって
来られなかった。
多分寂しかったけれど
それを、打ち消すほどに
家族も近所の人も総出で
運転会に来てくれていました
当時は大人は運動会で酔っ払って
まーーすっごい騒いでいたなぁ🍺
幸せね けどさみしかったのかなー
両親が教員だったことを
友人へ話したときに
「両親が先生だと寂しくなかった?」
と聞かれて
「寂しくはなかったよ」
と答えたけれど
そう言ったときになんだか心の中で
寂しい気持ちを感じて
寂しい思いもしていたのだと思います。
母は運動会に来られないことがほとんだった。
同じ町で先生をしていたので
同じ日に運動会があって
来られなかった。
多分寂しかったけれど
それを、打ち消すほどに
家族も近所の人も総出で
運転会に来てくれていました
当時は大人は運動会で酔っ払って
まーーすっごい騒いでいたなぁ🍺
幸せね けどさみしかったのかなー
祖母は、戦中戦後を生きた人
自分にも他人にも厳しく
特に
「人と比べる」
ということについては
「意味がない」
「そんなことを考えるのは時間の無駄だ」
とキッパリバサッと言われていました
自分にも他人にも厳しく
特に
「人と比べる」
ということについては
「意味がない」
「そんなことを考えるのは時間の無駄だ」
とキッパリバサッと言われていました
そんな家庭で育ったわたしは
近所の人や先生からも
「まじめでしっかりしてる」
と言われることが多くて
自分のことを
「まじめでしっかりしてる人」
だとずっと思い込んでいました。
近所の人や先生からも
「まじめでしっかりしてる」
と言われることが多くて
自分のことを
「まじめでしっかりしてる人」
だとずっと思い込んでいました。
全然しっかり者ではないのよ笑
何度も同じ言葉をかけられると
そう思ってしまう。
「言葉の力」大きですよね。
何度も同じ言葉をかけられると
そう思ってしまう。
「言葉の力」大きですよね。
しかも、まじめ=おもしろくない人
だと思っていたので
あまり褒められている気がしませんでした。
あまり褒められている気がしませんでした。
まじめちゃんの名札をつけて生きていた
中学生くらいまでかなぁ
息苦しくもあったと思うけど
実はそんなイメージとは裏腹に
イタズラ好きで
好奇心旺盛
楽しいことに敏感✨✨
なところがあって。。
未だに
楽しいことに敏感✨✨
なところがあって。。
未だに
両親に知られてないことが
あるかもしれない🤣
あるかもしれない🤣
次回イタズラへ