今日7/5読売新聞の夕刊に…舟木さんの記事が❤️ | きいちゃんのブログ

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ますます輝き続ける舟木一夫さんへの溢れる思いを。
他に、お芝居のこと、日々のこと、雑感、着物のこと…など。
思いつくままですが、書いています。

お友達から…届いていました❗️

私…仕事から帰ってすぐ洗濯!
その時…洗面所にうっかり…携帯置きっぱなしでしたガーン

また話が長い!

で…遅くなりました悲しい

二人のお友達が…

早い時間に送ってくださっていました泣き笑い


ほんご NIHONGO

舟木一夫さん  歌手


 ふなき・かずお 1944年、愛知県生まれ。

63年、デビュー曲「高校三年生」が日本レコ

ード大賞新人賞を獲得、66年には「絶唱」が

同歌唱賞に輝いた。同世代の歌手、橋幸夫さ

ん、西郷輝彦さんとともに「御三家」と呼ば

れ、一世を風靡(ふうび)した。ほかに代表

曲は「銭形平次」「夕笛」「初恋」など。N

HK紅白歌合戦には10回出場している。



   言葉の〜

   アルバム



いま風 金曜日


 子供の頃からことわざや格

言に興味があった。身の回り

で何か起こると、知っている

格言をあてはめ、考えを巡ら

せる。

 「困っている時に助けても

らうと『渡る世間に鬼はない』

と、逆に裏切られると『人を

見たら泥棒と思え』と思うわ

けです。そんな時、自分はど

ちらのタイプの人間かなと自

問する。寂しがりやで、人と

のつながりを欲するタイプな

ので、前者の価値観を大切に

生きるのがいいのだろう、な

どと考えてきました

 少年時代から音楽好き。得

意な歌で苦しかった家計を助

けたいと、歌手を目指すよう

になった。高校生の時、人気

歌手の松島アキラさんのライ


不遇に腐らず 歌一筋で


ブに飛び入りし、彼のヒット

曲「湖愁」を歌った。それを

見ていた 雑誌記者の 橋渡 し 

で、芸能プロダクションにス

カウトされた。

 高校卒業直後の1963年

6月に「高校三年生」でデビ

ュー。学生服で歌う姿も話題

となり、この曲は大当たりし

た。その後も「修学旅行」「学

園広場」など、学園もののヒ

ットが続き、たちまちスター

の座を射止めた。

 「成功した芸能人に傲って、

家を建て高級車を乗り回し、

我が世の春を謳歌していまし

た。しかし、その一方で、学

生服で学園ものを歌うという

イメージが年を重ねた時にマ

イナスに働くのでは、という

不安も抱えていました」

 


 70年代に入るとヒットに恵

まれなくなり、停滞期が続く

ことになった。そんな時に、

救いとなったのが、「起きて

半畳寝て一畳」という格言だ

った。

 「若くしてスターになった

僕は、周囲から打たれもろい

と思われていたようですが、

子供の頃家は貧しく、苦境に

は強かった。売れていなくて

も、生きていくだけならどう

にかなると思え、さほど落ち

込まずに済みました」

 「必ずチャンスは巡ってく

る」と信じ、地道にライブを

重ねた。「勝負は92年に開始

するデビュー30周年記念ツア

ーだ」と狙いを定め、できる

限りの準備を整え臨んだ。予

想を超える動員を実現し、「舟



木一夫鮮やかに復活」と話題

になった。同年のNHK紅白

歌合戦に21年ぶりの出場を果

たした。

 「かつて僕を支えてくれた

同世代のファンが、子育てが

一段落し、時間に余裕ができ、

戻って来てくれたのでしょ

う。不遇の時も、『起きて半

畳ーー』と腐らす頑張ってき

たことが実を結んだと思いま

す」

 その後も精力的に公演活動

を続け、高い人気を保ってい

る。

「これまでのキャリアの中

で、今が最も歌っていて楽し

い。体力や声の状態に応じた

活動で、生涯現役を貫きたい

ですね」

            (編集委員 西田浩)


          イラスト 岩清水さやか



お二人のお友達が、写メ送ってくださいましたラブ


もう一人のお友達は…
読売新聞夕刊に…舟木さんの記事が大きく載っています❗️と…わざわざ電話で知らせてくださいました❗️

皆さんありがとうございました❗️

写メのままだと読みにくいかと思い…書き直してみました。
遅くなってすみません悲しい

おやすみなさい💤😴🌙⭐