リクエストに答えて3〜デビュー5周年明治座公演パンフより | きいちゃんのブログ

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ますます輝き続ける舟木一夫さんへの溢れる思いを。
他に、お芝居のこと、日々のこと、雑感、着物のこと…など。
思いつくままですが、書いています。


昭和43年、
明治座での
デビュー五周年記念
舟木一夫七月特別公演

のパンフレットから

今回は、

舟木一夫  A  B
       安 藤 鶴 夫

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  舟木一夫が、社長さんになって、渋谷に、あたらしい事務所を持ったという。
  わたしは、自分の都合で、あたらしい出発のパーティーへいかれなかったので、渋谷の、その〈舟木一夫音楽事務所〉ッてえのに、お祝いにいった。
  なかなか、思うようにいけず、事務所が出来てから、ずいぶん経ってから、うちの娘の運転する、ちっぽけなクルマに乗ッかって、いった。
  霧のような雨の降っている午後で、舟木君の事務所は、たいへんしずかな町の、とあるビルの中に、ちん、と、あった。
  社長が出てきて、ちょっと、頭をかき、ちょっと、赤くなり、そして、どうぞどうぞ、などと、たいへん、早口でいった。
  かわいくって、すがすがしい事務所で、わアわアさわいだりはしていないけど、なんだか、ふつ・ふつと、あたらしい熱気の感じられる事務所であった。
  奥の、社長室の如きところへ案内され、社長はまた、そこの椅子(いす)を指さして、どうぞどうぞ、と、さらに、一層、早口でいった。

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  わたしは、まず、なにより、舟木一夫の  顔が変わったことに、びっくりした。
  年に、なんどとしか、まったく、逢ッちゃアいないのだけれど、舟木一夫という男は、ふしぎに、いつでも逢っているような、あたたかさと、したしみを感じさせる。
  たまにしか逢わないのに、逢うたびに、顔色があおしょびれて、どんどん、若さがなくなっていくように思え、逢うたびに、おい、少し仕事が多いのじゃないか、と、注告した。
  社長になった顔をみたら、まるで、生まれ変わったように、いきいきとし、はつらつとし、から元気なんかじゃアない、ぴりぴりした、ほんとうに元気な顔になり、それに、なにより、笑い顔がかわいく、あかるく、ほんものになった。
  正直いって、スターだとか、有名人なんてえのの、笑い顔が、無理にこしらえたり、つくり笑いでなく、ほんものの笑い顔になったら、それで、人間も、ほんものになったと思って、まちがいはない。
  独立する以上、これから、どんなにまた、いやなことが、たくさん、降りかかってくるだろうけれど、負けンな、といって、別れた。
  そして、帰りがけに、あ、ちいちゃなクルマに、大きな顔のひとが乗ってら、と、いって、笑やァがった。口のわるい社長なのである。               
                  〈43・6〉

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江戸っ子らしい
歯切れのよい文体で知られた
安鶴さんらしい粋な文章ですねニコニコ


調べてみたら、
安藤鶴夫さんは、
これを書かれた翌年
1969年(昭和44年)9月9日に、
60歳で亡くなられているのですね。
早過ぎますね。


この頃は、舟木さん、
独立なさった頃だったのですね。


照れて、ちっちゃくなっている
かわいい舟木君爆笑
   

皆さんに心配されショボーン
愛されている舟木君ラブ


それなのにしっかり
憎まれ口グラサンまで聞いててへぺろ


どこまでもシャイで照れ
お茶目なてへぺろ舟木君です。



思いがけず、
この頃の舟木さんに
思いを馳せられる幸せを
感じています❤️