前に記事にした『本多作左衛門重次のお墓』
また同じタイトル。
記事にアップした本多作左衛門重次のお墓の写真は、12年前に行った時のもの。

茨城県取手市にあるんだけど、本多作左衛門は、徳川家康の重臣、岡崎奉行(岡崎三奉行=本多作左衛門重次、天野三郎兵衛康景、高力河内守清長、実際には岡崎三奉行は存在していなかったとも言われているらしいけど)で、主君・徳川家康に遠慮なく諫言(かんげん=目上の人に対して諌める、指摘する事)していた、良く天下の御意見番と言われた大久保彦左衛門忠教(ただたか)も主君に諫言していた(家康、秀忠、家光に仕えた)けど、元祖は本多作左衛門重次ではないかな。

何故晩年、現在の茨城県取手市で過ごしたかは、以前の記事に書いたので、理由を知らない方は、リブログで貼り付けた記事を読んでいただければ良いかなと。

1983年の大河ドラマ『徳川家康』では、本多作左衛門重次は、メインキャストで、長門裕之が原作に近いキャラクターで演じていた😀
殿を叱り飛ばす、諫言する家臣。何と言っても鬼作左と異名を取った武将だったから。

作左衛門の有名な戦場から奥方に送った手紙
『一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ』
お仙とは、嫡男・仙千代後の本多成重。

徳川家康が、お手付きした女性、お万の方(側室とは認められなかったが、後に側室)が、身ごもった時、家康は、正室築山御前(瀬名)を気にして、浜松城内では、産ませず、本多作左衛門が、引き取り、屋敷で産ませた、生まれた子供が双子を男の子2人、当時は双子は忌み嫌われていて、双子の兄は、家康の次男於義丸として育て、双子の弟は死なせるのは偲びず匿って育てさせたとのこと。

大河ドラマ『徳川家康』では、作左衛門は、家康にお手付きした事について説教していた。
徳川家康=滝田栄氏、瀬名=池上季実子氏、お万の方=東てる美氏。
お万の方は、元々、瀬名の侍女だったのをお手付きした事で、瀬名(池上季実子氏)の怒りを買い、お万の方(東てる美氏)裸で縛り上げて折檻したとある(ドラマでは、さすがに裸ではないけど)、瀬名は、今川義元の仇、織田信長を憎んで、その信長と仲良くしている家康に対して面白くなく、仲が悪くなったと、嫉妬深く、次から次へと側室を増やす家康に嫉妬し、武田方と内通したということもあり、悪女というイメージがずっとあったから、山岡荘八原作もそれをもとにドラマ化した大河ドラマ『徳川家康』でもそのように描かれた。

しかし、近年悪女ではなかったのではないかと、そもそも側室は、正室が決めたり、認める事がなければ側室にむかえることは出来なかったらしい。
だから、お万の方は、瀬名が正式に認めた女性ではなかった為に正式に側室として認められなかったとの事。

2023年大河ドラマ『どうする家康』(徳川家康=松本潤氏、瀬名=有村架純氏、お万の方=松井玲奈氏)では、お手付きしたが、お万が、瀬名に対して折檻してくださいと頼むシーンが、あった。
実際には折檻しなかったけど、したことにして、追放したようになってた。
どうする家康には、登場期待していたけど、本多作左衛門重次は、登場しなかったから『徳川家康』で描いた作左衛門がお万を屋敷に引き取り、出産させたエピソードは、当然描くことがなかった、作左衛門ドラマでは存在してなかったから。

滝田栄氏の『徳川家康』
酒井忠次(徳川十六神将・徳川四天王)=福田豊士
本多忠勝(徳川十六神将・徳川四天王)=高岡健二氏
榊原康政(徳川十六神将・徳川四天王)=荒木茂(青年期)、内田勝正(中年期から晩年期)
井伊直政(徳川十六神将・徳川四天王)=豊原功補氏(青年期)。平泉征(現・平泉成)(中年期から晩年期)
大久保忠世(徳川十六神将)=織本順吉
平岩親吉(徳川十六神将)=宗近晴見氏
本多作左衛門=長門裕之
石川数正=江原真一郎
鳥居元忠(徳川十六神将)=草見潤平氏(少年期から青年期)川久保潔
服部半蔵(徳川十六神将)=桶浦勉氏
夏目正吉=國井正廣
本多正信=内藤武敏
本多正純=本田博太郎氏
大久保忠隣=吉田幸紘(青年期)坂西良太(中年期から晩年期)
渡辺半蔵(徳川十六神将)=加藤精三
柳生宗矩=夏木陽介
井伊直孝=門田俊
大久保長安=津川雅彦
他にもたくさん家臣役が出演していた。
第41話〜50話最終話(41話と42話は、徳川家康が将軍時代の話)までが、家康が将軍時代と大御所時代の江戸時代(大坂夏の陣の翌年に亡くなるまで)。
大坂の陣までの間に色々なストーリーがあった。

松本潤氏のどうする家康
酒井忠次=大森南朋氏
本多忠勝=山田裕貴氏
榊原康政=杉野遥亮氏
井伊直政=板垣李光人氏
本多正信=松山ケンイチ氏
大久保忠世=小手伸也氏
鳥居元忠=音尾琢真氏。
服部半蔵=山田孝之氏
石川数正=松重豊氏
夏目広次=甲本雅裕氏
渡辺半蔵=木村昴氏
本多正純=井上祐貴氏
本多忠真=波岡一喜氏

どうする家康では、関ヶ原の戦いまで、時間かけて放送されたから、江戸時代の話は、第44話〜48話最終話までと短い(徳川家康の将軍時代は、44話のみ大御所時代大坂の陣までの話が45話のみ)。
本多作左衛門重次が、登場しなかったのが残念だったなぁ~
『徳川家康』では、1つ1つのエピソードを1話完結で放送していて、大岡弥四郎事件(徳川家康では、大賀弥四郎と表記)に関しては、事件が起きるまでのエピソードを数話前から少しずつ盛り込み大賀弥四郎を登場させていた(第14話『父と子』から登場)、大賀弥四郎(寺泉哲章氏=現・寺泉憲)、山田八蔵(下條アトム氏)、武田方の唐人医師減敬(徳川家康では、けんきょうと読んだ、どうする家康では、穴山梅雪が減敬と名乗り、読み方はめっけいと読んだ)=津村鷹志氏が瀬名に近づき、大賀弥四郎が瀬名と不義密通(不倫)して、減敬を通じて、武田勝頼に寝返るやり取りがあって第18話『謀反発覚』で、謀反が露見して処罰されるという流れだったたけど、

『どうする家康』では、第20話『岡崎クーデター』で、初めて大岡弥四郎(毎熊克哉氏)と山田八蔵(米田学氏)が登場して事件を起こし発覚して処罰されるまでを1話完結、でも三河一向一揆、姉川の戦い(金ケ崎の退き口も含めた)、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い(設楽ヶ原の戦い)、小牧・長久手の戦い、関ヶ原の戦いは、2話もしくは3話かけて放送していたから、天下取るまでに時間かけて放送されたんだよね。

色々、時間かけて、ストーリー描いたけど、本多作左衛門が登場しないから、作左衛門が絡んだストーリーはない。

作左衛門は、蟄居謹慎(豊臣秀吉に怒りを買ってしまい)して、表舞台から姿を消し取手で晩年期を過ごしたんだ。
松平清康、松平広忠(『徳川家康』近藤正臣氏、『どうする家康』飯田基佑氏)、徳川家康の3代に仕えた徳川家重臣だった。