しばらく、ブログサボってしまった😓
先週火曜日20日の夕方から下痢が酷くて、20、21日は公休だったけど、その後吐き気たまに嘔吐もあり、仕事を休んで、病院受診したら感染性胃腸炎と診断された😵‍💫
公休含めて8日も休んでしまった💦
いやぁ~苦しかったぁ〜感染性胃腸炎ってノロウイルスだよね。
8日間、苦しんでいたのでブログ記事を書く余裕なかったんだ(特にネタもなかったけどね😅)。
27日から仕事復帰した。

さて、以前に忠臣蔵で有名な赤穂浪士は、もともと常陸国笠間藩士だったという記事を更新したことがあったけど、昨日は笠間に美味しいパン屋さんがあって、パン🍞を買いに笠間市へ行って、その後に他の買い物済ませたあと、笠間稲荷神社から近い所に旧大石邸へ行ってきた😀

以前に書いた記事貼り付けたので詳しくは書かないけど、浅野家は、豊臣政権で五奉行していた浅野長政を祖として、宗家が広島、浅野長重(長政の三男)が分家、分家が浅野長直(長重の嫡男)の時に笠間(現茨城県笠間市)に転封、笠間藩として播磨国赤穂(現兵庫県赤穂市)に転封されるまでの間、笠間を治めていたんだ。

↓大石邸看板

浅野内匠頭長矩の祖父は、笠間藩主から赤穂藩主になった。
大石内蔵助良雄は、父・大石内蔵助良昭は笠間藩家老から赤穂藩家老になった。だからこの2人は、笠間に縁がある。
しかし、浅野内匠頭長矩と大石内蔵助良雄は、笠間では生まれていないし、縁もないんだ。赤穂で生まれてるから。

↓大石内蔵助良雄の銅像 良雄は直接笠間と縁のないんだけどね。一般的に良雄が知られてるからね、吉良邸討ち入りでね。



↓笠間藩生まれの四十七士
この中で、1番有名なのは、堀部弥兵衛。
この人は、喧嘩安兵衛、呑兵衛安兵衛と異名を取った有名な堀部安兵衛武庸(たけつね)の義理の父。
元々、堀部安兵衛は、越後国新発田藩士だった、旧姓 中山安兵衛武庸、弥兵衛と出会った頃は浪人で、歴史好きな人なら知っているエピソード高田馬場の決闘、菅野六郎左衛門と村上庄左衛門との決闘が、村上は、仲間を5〜6人連れてきて、菅野は、安兵衛に助太刀を頼んで、決闘場所に来て、戦ったんだ。
安兵衛は、数人切り倒したとの事。
それを見ていた見物人達の中に堀部弥兵衛がいて、気に入ったから、是非娘の婿になってくれないかと、そして赤穂藩に仕官しないかと誘ったのがきっかけ、弥兵衛の娘と結婚して堀部安兵衛武庸となり赤穂藩士となった経緯があった、その義理の父である堀部弥兵衛は、笠間で生まれて笠間藩士として禄を食んでいたんだ。

ここに書いてある赤穂義士は、皆、笠間(藩)で生まれてるらしい。





今、ムロツヨシ氏が主演をしてる『身代わり忠臣蔵』が上映してるけど、観ようとは思っているけど、まだ観られてない😓
まだ、観に行けないから、観に行けないまま上映終了しちゃうかな?

久しぶりのブログでした😀