まことに小さい声ですが

   友ありて

                 

 地方からの贈り物は正直に申し上げて、ほんとに嬉しい。

 宅配便でダンボール箱が届くと、思わず声を出してしまうことがある。

 たとえば、日本海の魚介。四国や和歌山からの山菜。都会の下町暮しの

老人にとっては、ほんとに有り難い

ものばかり。

 そして思う。

 人の情け。

 

       糠つけて筍くるる友ありて      和田美津子

 

この一句、人情を絵に描いたようなものだ。俳句の原点だと思う。作者は、

私の小さな句会の仲間。

 私が毎年頂いているタケノコは、温泉で湯掻いてくれたゼイタク品だ。

それが、ドサリと届く。

 

       筍や使いきりたる丸一日        美津子

 

 分かる。

 わが家は糠を使うこともなく、皮を剥くだけで ゴミ袋がいっぱい

になる。湯掻かれたタケノコが入荷()するだけで、一仕事なのだ。

 そもそも、筍は掘り出すことからして大変なのだ。私には、若い頃、

二、三度だけ体験したことがあるけれど、

失敗して、上手く掘れなかった覚えがある。

 タケノコは、求めて山へ入るところから料理されて口に入るまで、何人の

手を経るのだろう。どれだけの人の

知恵と工夫があって、「美味しいな」と食べることが出来るようになったの

だろう。

 考えれば、食べ物とは、すべて人間の知恵と努力の結果にある。

 「食って生きてきた」人間の歴史を、ふと思った。

 

 糠と一緒に筍を送ってきてくれた友人。

 まる一日かかって剥いたり湯掻いたりして、新鮮なタケノコを食べることが

できた家族。

 友への感謝。

 筍を育んでくれた山への感謝。

 

 ささやかな楽しみの一つにすぎない、〈たかが俳句〉。

 有名でも何でもない普通の主婦の、俳句で描かれた日常の風景。

 一日を筍に使いきった、と言われても、ああ、そうですか、と思われて

しまいそうな俳句。

 それでも、と、私は思う。

 この俳句のうしろにある平凡な生活が大事なのだと。

 平凡な日常を過すことのできる仕事があり、仲間と共に過す環境にある

ことに感謝したい、と思う。

 大げさな、と笑わないでほしい。

 この句を書いた主婦は、もう一句、こんな俳句も書いている。

 

       筍と共に届いたガザの記事       美津子

 

 タケノコを包んでいた新聞の記事。

 その記事が目に止まった一瞬、手が止まったのだろう。