まことに小さい声ですが

   雲海の向こうに

                 

 春の山は恐い、と山好きの友人に言われたコトがある。

 雪解けの季節雪崩があるかも。夏山は人が多い。だから、と、10月の

穂高へ誘われた。

 はるか50年ほど前の話だ。

 穂高初登山までに、何度か六甲山へ連れて行かれた。毎朝ながめている

山でも、いざ登ってみるとシンドイ山だった。

 そして、10月の穂高。生れて初めてアイゼンを履かされた記憶は強烈だった。

 北穂高の北壁。

 井上靖の小説『氷壁』の舞台になったところ。

 新聞連載当時の挿絵。生沢朗のスケッチ風の山の絵が好きだった。のちに、

画集となったハードカバー箱入りの一冊を、少ない小遣いの中から買いに

走った記憶もある。

 アイゼンを装着したへっぴり腰の私の前後を、ベテラン登山家の二人が

援護しながらの穂高行だ。

「恐くて見てられなかった」

と、後日、うしろから見守ってくれた友人が言っていた。

 私も、コワイながらも、少し楽しかった。

 前夜に降った雪が氷柱になって目の前にある。通称「海老のシッポ」と

言われる氷柱。

 それを見ながら横へ横へと移動する。

 決して下を見ない。

 私の青春時代の一ページだ。

 

    穂高なる吹雪に死ねよとぞ攀()ぢぬ     石橋辰之助

 

 私にとっては伝説の俳人・石橋辰之助の昭和9年作。

 昭和俳句史を学ぶとき、必ず通るのが新興俳句の先人達。たとえば、

無季俳句の名作

 

    しんしんと肺碧きまで海のたび       篠原雲彦

 

 のちに鳳作の名で語り継がれることになったこの一句も、昭和9年の作。

だが、いま言いたいことは、俳句に新しい風を吹きこんだのは、昭和後期の

人たちだけではない、ということ。まして、平成・令和の若い人たちではない。

先人の、まっすぐな俳句の力があればこそ、と思うのだ。

 

     霜つよし蓮華と開く八ヶ嶽          前田普羅

     奥白根彼の世の雪をかゞやかす

     駒ケ嶽凍てゝを落しけり

 

 これは昭和12年の作。

 私が生まれる一年前の作品だ。

 体力もないくせに山に憧れ、山の地図ばかり見ていたときがある。

そういう私の青春時代。

 やがて俳句を識り、真面目に向かい合って、句集や全集を乱読して

めぐり合った作品と人の名。

 山の名の入った俳句に感動し、記憶した。

 

    鞍のかなた春星かぎりなし          前田普羅

    山吹や根雪の上の飛彈の徑

    人住めば人の踏みくる尾根の雪

 

    朝焼の雲海尾根を溢れ落つ           石橋辰之助

    霧ふかき積石(ケルン)るゝさびしさよ

    母のまへ夏山戀ふるつぶやきを

 

 はるか向こうまでの雲海を、初めて見たのはいつの日だったろうか。

「おい、キワリ君。運のいい奴だな、お前さんは。ほら、見てみィ、

富士山が見えるぞ」

と、山男の友人が、指さしてくれたのは、奥穂の頂上。

 ケルンという小石の積み上げたモノを始めて教えて貰ったのは槍ヶ岳

だったか。或いは比良山系の武奈ヶ岳だったか。

 ささやかな体験が、のちのち、俳句を読める力になるとは夢にも思わな

かった。

 感謝すべき人がいかに多いか、と自分に言いきかせている。