― 生くるべし ―

                 

今年は、とてつもない災害の多い年だ。

いろいろ思うことが多い中、必要があって、ちょいと古い資料をのぞいてみた。

そして俳句も時代の証言になる、と、あらためて気がついた。

 

俳句なんて所詮、私事 ――― わたくしごと。カッコよく言うと“私詩”だ。

俳句はひとりごと、と、以前にも言ったが、まことに小さい声だ。

 

けれど天下国家の一大事も、結局は一人ひとりの問題。そして涙をこぼす。

そういう一人ひとりの俳句が、時代を映す。

 

たまたま ――― ほんとうにたまたまだけれど、昭和26年の俳句を眺めていて、

考えこんでいる。

当時、私は小学校 6年生。

みんなみんな貧しかった時代の、6年生だった。

 

    バラック夏草ラジオに今も尋人

 

作者は橋本風車とあった。失礼ながら私には全く記憶にないお名前だ。

終戦、いや、敗戦6年目の風景。ラジオが、どこの家にもあったかどうか。

 

    闇米を挙げられ背の子ゆりあげる

 

作者、田中史郎と資料にあるが、この方も私は存じあげない。

闇米を官憲に取りあげられて、半泣きの母親が背に負うた赤子をあやしている。

 

    雪後にて魚の屑まで売られけり     石塚 友二

 

大先達の句もあった。

魚の屑、という言葉の重みを考えたい。

 

    原爆に焦げし頬も癒え卒業す      宮武 寒々

 

作者は明治27年生まれ、とのこと。原爆に頬を焦がしたのは、身内の

誰かだったのだろうか。

 

    鳥雲にマッカーサーは帰りけり     柴田 宵曲

 

この方のお名前は、私にとっては俳句史の、書物の先生として存じあげる。

マッカーサーを鳥雲に入る、鳥帰る、という季語に重ねて万感の想いが伝わる。

 

    草の実やわが誤診患者通りをり    川畑 火川

 

詳しいことは何も知らないけれど私でも、この方のお名前にも記憶がある。

そしてこの句、この句意に、作者の思いに、心を寄せることは出来る。

この何とも言えない居心地の悪さ、分かるような気がする。

 

昭和26年。――― こどもだった私は、何も知らなかったけれど、先人達は

時代の証明のような作品を残してくれていたのだ。

 

    奴隷の自由という語寒卵皿に澄み     金子 兜太

    ひとり()てちちろと闇をおなじうす         桂  信子

    飾るものなし夕焼が妻を飾る         八田 木枯

    女に家あり時に家憂し洗ひ髪        平井 さち子

    夏みかん酸っぱしいまさら純潔など     鈴木 しづ子

    家に時計なければ雪はとめどなし      森  澄雄

 

そしてそして、ハンセン氏病患者の俳人にして、こころ澄みわたる人の、

療養所内での一句。

 

    除夜の湯に肌触れあへり生くるべし     村越 化石

 

たかが俳句されど俳句、と、あらためて心に刻みたいと思う一句だ。

もう一度言いたい。これらの作品は、昭和26年のもの、と。

そして68年前の、先師たちの私詩、なのだ。