ことに小さい声ですが

     もっと俳句を          

 

俳句は、あまりにも短いから言いたいことの何分の一も言えない。

―――確かにそうだ。

「そんなムツカシイこと五・七・五で言えまへん」

という体験を何度もしてきた。

 俳句で何が言えるか、と、何度もくり返し考えてきた。

 所詮、たかが俳句、だと。

 

 だけど、日常会話の中でも

「A君に一所懸命、説明したけど、結局、わかって貰えなかった」

という経験。

 そして

「Bさんの話を一所懸命、聴いたけど、結局、ナニを言いたいのか、

さっぱりわからなかった」

という経験。

 そんなコト、ありますよね。

 

 会話、テ、むつかしい。

 でも、言葉がなかったら、何も始まらなかった。

 

      音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢      赤尾兜子

 

 私の師匠の、代表作と呼ばれる俳句。

 俳句年表には必ず出てくる俳句。

 多くの人が兜子の代表句と言うこの一句、でも私には理解ができません。

 意味がわかりません。弟子なのにこの句は苦手です。

 それでも、ほかには好きな句はいっぱい有ります。

 

 俳句が好きで、50年も60年も沢山の俳句を読んできたつもり。

 俳句テ何?何が書けるの?何故俳句?

 好きだから考えづけてきた。

 新聞俳句も目に触れるものは読んだ。

 仲間と議論もしてきた。

 だけど、まだ、答えが出てこない。

 

     持ち時間減らしてしまう昼寝かな    和田美津子

 

 老人である私の持ち時間も、多くない。

 一日いちにちが大事。

 昼寝なんかしてる場合ではない。なのに、寝てしまう。眠いものは

仕方がない。

 でも、待てよ。

 この俳句は分かる、ではないか。

 単なる怠け者のボヤキではない、そんな気がする。

 少なくとも、持ち時間なるものを自覚しているのだ。

 時は金なり、と昔の人は教えてくれているではないか。

 

     西日中吾子の賞状残る部屋      美津子

 

 同じ作者の一句だ。

 吾が子の、ナニゴトかの賞状が飾ってある部屋だろう。その部屋には

もうその子は居ない。

 その部屋で子が生活していた時間。

 成人して一人立ちしたであろうその子が、出て行ってからの時間。

 その時間を暗示しているように、いま、その部屋に西日が射しこんでいる。

 親の淋しさが、しみじみと伝わってくる。

 分かり易い俳句、ではないか。

 それでイイのだ、俳句なんて。

 

     渡りきる平和大橋白日傘       小西美穂子

 

 この句の作者には

「大事なのは白日傘ではなくて、平和大橋を渡ったことではないの?」

と声をかけた。だったら

 

     白日傘平和大橋渡りきる        美穂子

 

とした方が、イイと思うよ、と。

 作者はヒロシマの平和大橋を渡ってきたのだ。

 

 作者は何を詠みたいのか。

そして、読者はどう読むのか。

 私は、もっと俳句を読みつづけたいのだ。