まことに小さい声ですが

    以後の歳月

                 

 新型コロナ騒ぎが下火になった今、ちょっと気になって〈スペイン風邪〉

のことを調べてみた。

 調べる、と言ったところで、図書館に行くでもなく、スマートフォンで

ちょこっと覗いただけ。

 それでも、あらためてビックリした。

 最初の発生は未確定、とある。わからなかった、ということか。

1918年~1920年。大正10年ごろか。なるほど、100年前と聞かされている

通りだ。

 死者数はナント、5000万人から1億人以上とあるではないか。

確定症例数5億人(推計)とか。

もう、人類滅亡のSF映画の世界のようだ。

 そんな大事件のことを、私は何も知らなかった。

 

 あれは、平成13年だから、2001年のことだった。場所は大阪府立情報

センター。

桂信子先生の対話講座のお相手をつとめていたときのこと。桂先生が

俳句人生を語る講座だった。

「あら、スペイン風邪を知らないの?」

と、びっくりされてしまった。そして、その頃のご自身の体験を聞かせて

いただいた。

「私もやられて、40度以上の熱が3日ほどつづいて―――」

という、恐るべき体験。

 スペイン風邪から小児性リューマチを患ったという、桂先生の体験。

 そんな話を私は、コロナ禍のときに思い出していた。

 

 そういう大過・大病は、100年に一度は人類を襲う、という話も、あの

とき誰かが言っていた。

 だったら、100年前の経験から、人類は何か知恵を得なかったのかなァ、

と凡人の私はぼんやり思った。

 

    スペイン風邪以後の歳月風邪ひかず     作者不明

 

 こんな一句があったよ、と、最近、先輩俳人から教えてもらった。

 この句がいつ書かれたのか知らない。でも、この句を書いたとき作者は、

のちにコロナ禍のようなことが起こるとは、予想していなかったに違いない。

 

 それにしても、100年に一度の大過のとき、SF映画なら、全世界の

人類が一致協力して、テキに向かっていって、地球に平和をとり戻すだ

ろう、と、昭和の残党の私は思ってしまう。

 

    葉月来る一誌疫越え戦越え      森田純一郎

 

 この句の〈一誌〉とは、阿波野青畝・森田峠から森田純一郎につづく俳誌

「かつらぎ」のこと。〈疫〉とはスペイン風邪であり「戦」は言うまでも

なく、先の大戦のこと、だと思う。

 

 私は、森田純一郎さんから青畝先生のお身内にもスペイン風邪の不幸に

見舞われた、とのことを聞いていた。だから、思うことが多いのだ。

 

「かつらぎ」の最新号は通巻1135号になっていた。

 一誌を守りつづけることは、歴史そのもの。

 たかが俳句、であっても真摯に俳句と向かい合っている者にとっては、

血が流れているような気がする。

 

    青空や花は咲くことのみ思ひ       桂信子