まことに小さい声ですが

   鬱王忌             

 

 ぼんやりとした不安、と言ったのは芥川龍之介だったか。

 他人からみれば大したコトのない〈ぼんやりとした不安〉。

 でも、だからこそ本人にとっては大問題。

 それを〈鬱〉というのだ、多分―――。

 

     大雷雨鬱王と会うあさの夢      赤尾兜子

 

 わが師・赤尾兜子がこの一句を「渦」に発表したのは昭和49年。当時、

その「渦」を編集していたのが、私。だから、のちのち有名になっていくこの

一句を、一番はじめに見たのは私、ということになる。

 そのときの生原稿は今も私の手許にある。

 封書には私信も同封してあって、そこには「キワリ君、こんな句が出来

たヨ」と、明るく!書いてあった。

 鬱王と会う。

 言い変えると、鬱は他者であって、本人は鬱ではないように見える。少なく

とも、とのときまでは。

 

 その後、昭和56317日の朝、兜子先生は自らの生命を、絶った。残され

た私たち兜子の弟子は、317日を〈鬱王忌〉と言う。

 さて。

 亡くなるほんの数週間前と思われる日に

 

     父として生きたし風花舞ふ日にも     兜子

 

という一句を書き残している。

 これぞ〈ぼんやりとした不安〉ではないか。

 今になって、兜子没後40年以上も経った令和の世になって、今さら何を

言うのか、と思われても、「すみません」と頭を下げるしかない。不肖の

弟子なのだ。

 

 鬱はナンギなのだ。

 老人性ウツなるものも有るらしい。

 それならば85歳の私にも、有る。

 ぼんやりとした不安で眠れないまま迎える朝が。でも、そんな私事は、

どうでもいい。

 それより次の一句を見てほしい。作者は私の俳句仲間。

 

     春の吾の予定手帳にうつの夫(ツレ)     美穂子

 

 句会の席に提出されてきた一句だ。7人の定例句会の場だったから

〈うつの夫〉という言葉で作者が誰か?は分かっていた。何しろ仲間内の

ことだ。

 吾は〈あ〉と読んでほしい。夫を〈ツマ〉でも〈オット〉でもなく〈ツレ〉

とルビがふってあった。そして〈うつ〉は、漢字の鬱ではなく、ひらがなに

なっている。

 これはもう、俳句の、文芸作品の出来不出来の問題ではない。近況報告、

そのものだと理解した。

 その句意は、私の手帖の春の予定。そこに記入したのは、ご亭主どのの

鬱が始まるぞ、という自分だけのための予定。

「ですよ、ね」と、その人に向かって問いかけた。

 声には出さないけれど「ハイ」と応じてくれた。

 他の参加者は何のコトか理解できていないかも知れないが。

〈夫〉に〈ツレ〉というルビが、夫婦愛のシルシだろう。

 季節の替わり目に、その持病が起こり易い。

 連れ添ってきたからこそ察することができる。

〈ツレ〉には寄り添うことができるのだ。

 

 作者と、読者としての私は、言葉には多く出さなかったけれど、いい会話

ができた、と私は思えた。

 これも俳句。これも句会の、或るカタチだろう。

 それでいいではないか。

 文学的な議論ばかりが俳句の世界ではないだろう。

 

      切株のまた新しや鬱王忌       大雄