まことに小さい声ですが

   雑談の友

                 

 日記のような俳句は書きたくない、と宣言されるような人を、ときどき

見かけます。

 日記のような俳句――例えば、

 

     寒明けやぼた餅がくる隣から     姫路   板谷繁

 

 新聞の投句欄で見つけました。

 この一句、私は好きです。日記のような、と、軽んじる気は、毛頭あり

せん。この句を選んだ選者・若森京子さんと同じく、共感しています。

 日記のような俳句が何故イケナイのでしょうか。

 俳句は、一部の文学者だけのモノではありません。

 私の師匠は、俳句に一生をかけました。

 そして最後は自ら生命を断ちました。

 そういう人の弟子の私は、日記のような俳句も好き、です。

 

 紹介した一句。この句には私もとても親しみがもてるのです。

 この一句の風景は、私の日常にもあるからです。

 都会、と呼ばれる私の住む尼崎ですが、隣り近所から、今でも泥のついた

大根が「家の前に置いといたからね」という日常。「ミカンがたくさん来た

からお裾分けね」と届けられたり。それが普通。

 

 俳句の原点を見失いたくないのです。

 私には

 

      校長が大根一本提げ来たり       大雄

 

という一句があります。

 その校長に、定年前の授業に来てほしいと頼まれたときに、思わず生まれ

た一句です。

 大根の句は、虚子の名句だけでなくてもイイではありませんか。

 

     春の海終日のたりのたり哉         蕪村

     酒飲んでひねもすニタリニタリかな     川柳子

     柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺        子規

     柿の木が一本もない法隆寺         川柳子

 

 俳句には、いろいろな楽しみ方がある。

 

川柳が好きが、冗談の五・七・五を書いたからと言って、蕪村の句や子規の

句の価値が下がるコトはない。

 俳句はそんなナマ易しいモノではない。

 だからこそ、日記のような日常吟も書きつづけようと思う。

 

      庭に出で雪の存否を何回も         博

      樹木らに寒肥をして春を待つ

      傘寿われ雨風に耐え藪椿

 

 この句の作者は私の30年来の知己です。

 実生活では私とは全く異なる人生を送って来られた人です。年に何度かの

食事会で私の雑談を楽しそうに聞いてくれていた人です。

 その人が、思うことあって、ご自身のおっしゃるところの「八十の手習い

と言える俳句の世界に足を踏み入れ」てこられたのです。そして、一日一句

作ると自らに課せられ、私の句会に持って来られるようになりました。

それから三年目、奥様の身体に異変が。

 

      朝顔の生死さまよう妻の顔         博

      手術待ちハイビスカスも待っている

 

 日々の俳句日記の中に看病の句が入ってきました。少しづつ快復に向かって

いく姿も見えはじめ―――。

 

      秋めくや肌白きこと妻の顔         博

      ドア越しの妻との会話秋の雨

      身に入むや医師の言葉に妻の顔

      夕焼けは吾も妻をも染めにけり

 

 そして

 

      小手毬や特養の妻児に還る        博

      曲水の詩や盃に遅れたる

 

 博氏の八十の手習いも今は4年半目になる。

 俳句にも、本来の花好き、交際の広さが見えるようになってきた。日記の

ように俳句を書けるようになった博氏と、雑談相手のような交流があって

よかったと、今更ながら嬉しい。

 

     万緑の安曇野走る大糸線          博

     雷を下から受ける槍ヶ岳

     野路菊の陰に隠れし測量杭

 

 信濃の国生まれ、と誇りをもって言う博氏は、60歳で黄綬褒章を受章

された人。そんな人と座を共にすることができる俳句の原点は、日記のよう

なモノ。それでいいではないか、と、もう一度言いたい。